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    日本・トルコ合作の大作映画『海難1890』の海洋エフェクトに挑んだ東映アニメーションのVFXワークを紹介する

    ※本記事は月刊「CGWORLD + digital video」vol. 209(2015年12月号)からの転載記事になります

    新しいワークフローで長編映画のVFX制作に臨む

    今回のVFXアナトミーは、映画『海難1890』のVFXメイキングを紹介する。本作は1890年9月オスマン帝国(現トルコ共和国)からの親善使節団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県樫野崎で台風により大破し沈没したが、地元住民の献身的な救助活動によって、当時としては世界最大規模の事故でありながら69名の乗組員が救助された物語と、1985年に起きたイラン・イラク戦争時のテヘランで日本人脱出に手助けしたトルコの人々の物語を描いた、日本とトルコ共和国の合作長編映画だ。台風に荒れ狂う海や樫野崎の村の構築などVFXによる見どころも多い。

    映画『海難1890』予告2-A

    VFXを担当したのは東映アニメーションのデジタル映像部だ。エルトゥールル号のCGアセットはトルコのCherryCherry VFX(本社:イギリス)が作成し、データを共有した。約400のVFXショットのうち100ショットが海関連のショットだという。実際のショット制作が始まったのが2015年3月から。トルコ編は、海外ロケが終わりピクチャーロックした後、8月にショット制作をスタート。2ヶ月で約250ショットを作成することになった。過去いくつかの作品で嵐の海のエフェクトが作成されていたが、海外のプロダクションに委託される場合も多く、これほどのエフェクトを国内プロダクションで作成するのは珍しいとのこと。また、ワークフローにおいてもチャレンジが多い。

    前列左から、芦野健太郎、馬場拓己、松本涼一、鎌田匡晃、八巻豊、吾妻宣紘(スタジオ玄)。中列左から、小倉裕太、谷口嵐丸、遠藤龍一、森重孝太、富安勝人、中田俊裕、李龍昌。後列左から、福長卓也、増田順也、中島中也、北川茂臣(フリーランス)、田口工亮(フリーランス)、稲葉成人(JUNESEP)。以上、特記以外東映アニメーション(敬称略)

    「本作の制作は4K解像度ベースで行われており、ファイル形式もACES/OpenEXRで統一して作業しています。4Kでの制作は過去の実績もあるので問題ないのですが、この規格による制作は弊社としても初挑戦でした。このワークフローはハリウッドではスタンダードになっているものの国内での運用例がほとんどなく、ACES/OpenEXRを使うことで撮影から編集、VFX制作まで同じ色環境で進められるというメリットはありましたが、不慣れだったこともあり作業していく中で改善していきました。今後もさらなる改善に努めます」とVFXディレクターの鎌田匡晃氏は語る。課題を残したというが、これから主流になっていくであろう新しいワークフローで制作された本作は、今後の映像制作の指標となるだろう。それではVFXショットの中から代表的なショットのメイキングを紹介したい。

    <1>プリプロダクション

    嵐の表現をいかに効率良く作成するか

    プリプロの段階で、激しい嵐のシーンの海はCGで作成すること、エルトゥールル号はミニチュアを使うことが決まっていたので、ミニチュアを使った嵐のシーンを撮影する前に、簡易に作成したエルトゥールル号のCGアセットを使って海洋エフェクトのテストを兼ねてプリビズを作成し、プランニングが行われた。プランニングでは嵐のシーンの監修を務める特撮研究所の佛田洋氏を中心に、CGであれば何ができるかを細かく打ち合わせしたという。

    「嵐のときの挙動や帆の状態、帆の操作など、実際はどうなのか確認をしながら絵コンテを起こしてもらい、撮影に臨んでいます。帆の段階的な畳まれ方や、帆の状態などは基本的な設定と矛盾しないように撮影されていますが、シーンによっては画的な見映えを優先している部分もあります。ミストや水飛沫などの一部もセットでミニチュアと同時撮影していますが、CGで海面や波を作成する場合に破綻しないよう、カメラアングルなどの調整を現場でお願いさせていただくなどしました」と鎌田氏は話す。

    ショットによっては水飛沫がミニチュアを覆うような、コンポジット作業にとっては非常に難しい実写プレートとなったが、PFTrackなどのオブジェクトトラッキングを有効活用して、海面などをシミュレーションした後にNUKEでコンポジットされている。

    ▲<1>ミニチュア撮影に先立って作成された嵐の海のテスト画像。台風が強まる中、だんだんと波の高さや風の強さが変化していく過程も表現するために試行錯誤が行われた。

    ▲<2>このように嵐は海の波の高さだけでの表現ではなく、雨や風、風で海面が飛ばされて起こるミストなど、多くの要素を足しながら激しい嵐の海を表現している

    エルトゥールル号のミニチュアを使った撮影風景。ミニチュアは1/17のスケールで作成されている。船に被る波などは実際に放水して撮影が行われた。船の揺れは油圧ではなく人力で動かしている。多くのショットがハイスピード撮影されたため、撮影スピードにあわせて船を動かすスピードも調整されたという







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    <2>エルトゥールル号を呑み込む荒波をつくり込む

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    <2>エルトゥールル号を呑み込む荒波をつくり込む

    Houdiniによる嵐の海のエフェクト制作

    本作の見どころのひとつでもある、エルトゥールル号を難破させた嵐の海の海洋エフェクト制作について紹介する。嵐の海のシーンでは、エルトゥールル号はミニチュアやセットを使って撮影されているが、ショット内の海の部分は全てHoudiniでシミュレーションされた海や波が合成されている。ショット数も多く、撮影されたエルトゥールル号のミニチュアやセットに合わせて海面のエフェクトを制作しなくてはいけないため、技術的にもスケジュール的にもとてもハードな内容となった。ミニチュアを使った撮影前に、この海洋エフェクトを制作するため実際の海の映像などをリファレンスにしながら、どのような見映えにするか、どういう手法で作成するのかをプランニングし、田中光敏監督や野口光一VFXスーパーバイザーに提案しながら撮影に臨んだという。

    海洋エフェクトはHoudiniのOcean FXを使って作成されており、監督から要望のあった、おとなしめの海から嵐の海に徐々に変化していくという海面の状況の変化を、実際のカットを想定した上でテストが行われた。エフェクトのクオリティもシミュレーションの幅を想定して最大から最小まで試されており、シミュレーション時間やレンダリング時間を含めて吟味されている。「タイトなスケジュールに合わせてクオリティを部分的にコントロールできるので、Houdiniを使ったエフェクト制作はとてもやりやすい。Ocean FXの出来が非常に良かったので助かりました」とエフェクトを担当した森重孝太氏は言う。

    海面をCGエフェクトで作成する利点を鎌田氏は「海をCGで作成するのは大変なのですが、撮影時にアングルを気にしないで良い点はとても制作面でのメリットになると思います。過去の作品では海素材の撮影アングルが限定されてしまっていたために撮影に制限がありましたが、今回はある程度自由に撮影してもらうことができたのではないでしょうか」と語る。

    ▲<1>HoudiniのOcean FXを使った海面の作業画面。費用対効果を考慮しながら最適なシミュレーション範囲だけで素材が作成されていることがわかる

    ▲<2>海面のレンダリングプレビューが表示されたHoudiniの作業画面。最終的に1ショット約半日でレンダリングされるように調整されている

    ▲<3>出力された波のレンダリングパス。ノーマルやZデプス、ベクターなど11種のエレメントが出力されている

    ▲<4>Houdiniで作成した素材。左上からビューティ、ディフューズ、リフレクション素材

    嵐のシーンのショットブレイク

    ▲<1>安土城のベースとなる姫路城の実写プレート

    ▲<2>奥側海面のカラー素材

    ▲<3>手前海面のカラー素材

    ▲<4>海面から飛び散る霧状のエフェクト素材

    ▲<5>霧状エフェクト素材その2

    ▲<6>波頭のエフェクト素材

    ▲<7>大きな波頭のエフェクト素材

    ▲<8>NUKEでコンポジットした状態

    ▲<9>カラーグレーディングを施した完成ショット

    <3>3DCGアセットによる実写のリプレイス

    トルコ航空機をCGアセットに入れ替える

    本作ではミニチュアのほかに3DCGアセットを使ったVFXも多数制作されている。3DCGアセットを使用した代表的なものが、テヘランに孤立した日本人救出のために救援機として離陸したトルコ航空のDC-10だ。右のトルコ航空の格納庫のシーンでは、現代機の機体で実写プレートが撮影されているが、この機体を当時のDC-10の3DCGアセットに差し替えている。

    このDC-10のアセットはモデラーの田口工亮氏が担当した。田口氏はモデリングからルックデヴまで行い、東映アニメーションではそのアセットを使ってショット制作を行なっている。撮影当初はどの程度のショット数があるかわからないため、どのようなアングルでも対応できるようにDC-10のアセットは作成された。公式な資料に加え、VFX側で当時就航していたトルコ航空のDC-10の資料を独自に集めてモデリングしていったという。

    DC-10のモデルは資料に忠実にとてもリアルにモデリングされているが、実写プレートに撮影されている現在の飛行機に合わせるとタイヤの位置や翼の位置が異なるため、実写プレートのバレ消し作業を効率化するためにモデルの一部を調整して現代機のパーツが隠れるようにしているという。CGアセットを使って不要な実写部分を隠すだけでは限度があるため、不要物を消し込んで部分的に空舞台にした背景プレートも制作された。

    「空舞台のプレートを作成するのはとても大変でした。このシーンでは実写の空舞台の背景プレートは撮影されていないため、飛行機が映り込んでいる実写プレートの前後のフレームを上手く拾いながらNUKEで合成を行なって空舞台のプレートを作成しています」と担当したコンポジターの中島中也氏は話す。

    ▲<1>モデリングされた1985年当時のDC-10のCGモデル。モデルの作成にはMayaとZBrushが使用されている

    ▲<2>ショット用にレンダリングされたビューティ素材

    ▲<3>デプス素材

    ▲<4>GI素材

    ▲<5>ベロシティマスク素材

    ▲<6>マテリアルIDマスク素材

    ▲<7>ライト素材

    ▲<8>スペキュラ素材

    ▲<9>リフレクション素材

    格納庫内のDC-10にパイロットたちが乗り込むシーンのショットブレイク。

    ▲<1>実写プレート。画面中の飛行機は現代の機体

    ▲<2>実写プレートをNUKEで前後のフレームを使って飛行機の後部を消し込んだもの

    ▲<3>PFTrackによるトラッキング作業。本作ではPFTrackでトラッキングしているショットが多い。処理スピードが速く正確であるため重宝したという

    ▲<4>Mayaでの作業画面。実写プレートのHDRIは撮影されていないため、田口氏が簡易的な格納庫のモデルを作成して映り込ませている。また実写プレートの一部をマッピングするなど、コンポジットで合わせやすいように設定してレンダリングされている

    ▲<5>DC-10のワイヤーフレーム

    ▲<6>実写プレートにあるタラップ部分などのマスク素材

    ▲<7>完成ショット

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    <4>マットペイントとCGアセットでのシーン構築

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    <4>マットペイントとCGアセットでのシーン構築

    その時代に即した説得力のあるマットペイント

    本作ではエルトゥールル号が遭難した時代やイラン・イラク戦争当時のテヘランなど、当時の状況を踏まえて背景をつくり込まなければいけないシーンが多く、それらのシーンはマットペイントによって構築されている。右に掲載した例も実写プレートを参照しながらショット全体をマットペイントとCGアセットによって構築しているという。エルトゥールル号が停泊している当時の横浜港のショットでは、「明治時代の横浜は、時代の移り変わりが早く建物の様子もどんどん変化していく時期なので、1890年にどのような景観だったのかを調べるところから始めました。何年にどの建物が建ったのかという時代背景を調べるのが大変でした」とマットペイントを担当した八巻豊氏は話す。

    当時存在した建物の資料や当時の写真、現在の赤レンガ倉庫街周辺の古い建物の写真を撮影したものを基に、当時の横浜港のマットペイントが作成されているという。地形に関しても横浜港から富士山方向を見るとどのように見えるか、カシミール3Dで現地の等高線メッシュを使って検証し正確な景観の背景が作成されている。これらの港のシーンのほかにも座礁現場である串本町の当時の村落などもマットペイントでショットが作られている。

    「監督からは40から50世帯が暮らす村落で、診療所からこんな風に村落が見えるようにしたいという具体的な要望があったので、イメージボード等を作りながらスタッフと相談しながらイメージを固めていきました。村が成り立つには奥に川があるだろうとか、斜面に建っているので建物が奥にいくほど位置が上がっていくとか、生活感のある村落になるように試行錯誤しています」と鎌田氏は語る。完成したショットのマットペイントは実際にあった村落とは異なっているというが、当時の人々が生活していた漁村が説得力をもって表現されている。

    エルトゥールル号が停泊する横浜港のショット

    ▲<1>リファレンスとした実写プレート

    ▲<2>富士山や丹沢山系、横浜の街並みのマットペイント素材

    ▲<3>海面素材

    ▲<4>マットペイント素材と海面素材をコンポジットしたもの

    ▲<5>ミニチュアで撮影された素材をマットペイントした素材

    ▲<6>艦船のCGアセットを配置した完成ショット

    港を出港するエルトゥールル号のショットのショットブレイク

    ▲<1>カメラ位置などをリファレンスに使用した実写プレート

    ▲<2>CGで作成した海面の素材

    ▲<3>遠景の船のCG素材

    ▲<4>中景の船のCG素材

    ▲<5>エルトゥールル号のCG素材

    ▲<6>地形のマットペイント素材

    ▲<7>完成ショット

    <5>実写プレートを活かした背景制作

    制作に7ヶ月を要した座礁シーンのVFX

    最後に実写プレートを活かした背景の制作例を紹介したい。実写プレートをCGアセットで補完したVFXショットの中でも、一番制作に時間を要したのが、遭難から救助されたムスタファ大尉が座礁した船を崖上から見るシーンだ。座礁して大破したエルトゥールル号を初めて見せるという印象的なショットであるため、監督がとてもこだわったショットだという。最初に作成されたイメージボードでは、船体が真っ二つにV字に折れているようなイメージだったが、座礁時には船体が大破していしまい残骸もほとんど残っていなかったという話もあり、座礁したということを印象づけるためにどのパーツを残して印象づけるかをスタッフ間で探っていったという。

    残骸のパーツは馬場拓己氏が作成したCGアセットが使われているが、このショットの制作はまだエルトゥールル号のCGアセットもミニチュアモデルもない頃に制作が始まったため、馬場氏がゼロから船体の残骸をモデリングしてショットのレイアウトを探っていったそうだ。また海面を漂う漂流物は、松本涼一氏がHoudiniを使って波の動きに合わせて動いているように、水面のサーフェスの動きを利用して素材を作成している。最終的には帆のマスト部分にミニチュアを撮影した素材を使うなど、制作が進む中で様々な素材が加えられて構築されたショットだという。

    「このショットは一番初期に手を付け始めたショットなので、完成までに7ヶ月ぐらいかかっています。カメラがクレーンアップすると残骸が見えてくるというショットですが、いかに悲惨な状況なのかを表現したいということで、とにかく船の残骸の状態がなかなか決まらず馬場氏がかなり苦労していました。社内のテイクだけでも40テイクは超えているのではないでしょうか。チェックでOKが出たときには関係者から拍手が出ました」と当時の苦労を小倉裕太氏は語ってくれた。

    エルトゥールル号が座礁した現場のシーンのショットブレイク

    ▲<1>実写プレート

    ▲<2>壊れたエルトゥールル号のレンダリングイメージ

    ▲<3>帆の部分のミニチュア素材。シーンでは風で揺れているなど細かい演出が加えられている

    ▲<4>浮遊物のCGアセットにHoudiniで海面に漂っているような動きを加えた素材

    ▲<5>完成ショット

    CGアセットを実写プレートに合成しているショットの例として、エルトゥールル号がイスタンブールの港から出港するシーンのショットブレイクを紹介する。実写プレートがメインのショットでも、海はほとんどのシーンでCG素材に差し替えられている。

    ▲<1>セットで撮影された実写プレート

    ▲<2>艦船だけをマスクした素材

    ▲<3>CGで作成した海面の素材

    ▲<4>船の航跡のみのCG素材

    ▲<5>マットペイントによるイスタンブールの街並みと海素材を合成したもの

    ▲<6>完成ショット

    TEXT_大河原浩一(ビットプランクス) / Hirokazu Okawara(Bit Pranks
    PHOTO_弘田 充 ./ Mitsuru Hirota



    • 映画『海難1890』
      絶賛上映中!

      企画・監督:田中光敏/脚本:小松江里子/撮影:永田鉄男(A.F.C)/特撮監督:佛田洋/VFXスーパーバイザー:野口光一/出演:内野聖陽、ケナン・エジェ、忽那汐里、アリジャン・ユジェソイほか/製作:Ertugrul Film Partners(「海難1890」製作委員会&トルコ共和国文化観光省映画総局)/製作プロダクション:東映東京撮影所、東映京都撮影所、クリエイターズユニオン、Bocek Yapum

      ©2015 Ertugrul Film Partners


      www.kainan1890.jp