「第1回 CGWORLDノベルズコンテスト」では、受賞候補2作品を選出し、CGWORLD.jpにて各作品を全12回にわたって掲載いたします。その後読者投票により各賞を決定し、それぞれ書籍として刊行する予定です。

記事の目次

    「CGWORLDノベルズコンテスト」概要

    第1回 CGWORLDノベルズコンテスト

    ■今後の予定
    2023年12月8日(金)〜:CGWORLD 305号とCGWORLD.jpで掲載と読者投票スタート
    2月頃:書籍時の扉絵イラスト募集
    5月頃:読者投票&扉絵イラスト結果発表

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    本文



    ローラの宣言通り、龍は翌日の太陽が高く昇った頃に降下を始めた。この辺りはまだ雪が残っていて、誰かが踏みしめたらしい跡に龍は音もなく降り立った。かつて僕が動物たちの絵を描きにしょっちゅう登っていたノネットの山だ。適度に開けていて人通りがない、龍を下ろすには最適の場所だった。とはいえ別れを惜しむ時間はあまりない。立ち入り禁止の場所ではないし、何も知らない人たちに龍が見つかると面倒だからだ。

    「それじゃあ、ローラ。本当にありがとう。元気で、さようなら」

    一冬を同じ屋根の下で過ごした相手に言うには、あまりにもそっけない言葉になった。でも本当にこれ以上何も言えなかったのだ。微笑んだローラはそれに応えるようにうなずいた。

    「ええ。それではジルさん。いってらっしゃい」

    まるでちょっと市場に行ってくる僕を見送るような言葉だった。あまりにも前向きすぎる別れの言葉に、思わず僕は笑ってしまった。そのまま振り返ることなく、ようやくたどり着いた故郷の村へ走った。

    五年ぶりの故郷は知らない香りがした。あの町と同じで、僕の村にも外に出るのが難しいくらいの雪が降る。そういうときは家の中で本を読んだり絵を描いたり、編み物をしたりして時間を潰すのだ。母はそういうときには必ず、時間のかかる煮込み料理を作った。ふわふわと家の中を漂う湯気が、だんだん料理の匂いになっていくのが好きだった。

    きっと今も同じようなことが各家で起きているのだろう。そう思ったのに村にぽつぽつと灯る明かりは僕の記憶よりも少なくて、家から漏れている白い湯気も僕の知らない匂いがした。

    僕は記憶を頼りに自分の家を探す。山からまっすぐ行って六軒目、赤い屋根の家だ。今は雪が積もっているから目印にならないだろうけど。しかしどれだけ歩いても、それらしい家が見当たらない。気付けば村の入口近くまで来てしまっていた。五年経っていると言っても、流石に家の位置までは間違えない。心がざわついた。ざくざくと雪を踏みながらあちこちに点在する家を一軒ずつ確かめたのに、僕の家はどこにもなかった。

    「な、なんで……」

    我が家は先祖代々この土地に住んでいる。どこかへ移り住むなんてありえない。しかも居なくなってしまった僕を置いて。まさか、僕がいない間に何かあったのだろうか。ひとまず状況を把握しようと、僕は近くにあった一軒家の扉をノックした。

    「はい?」

    一人の婦人が出てきて、訝しげな顔で僕を上から下までじっくりと見た。名前も知らない他人なんてほとんどいない村だったのに、この家も目の前にいるこの人も知らなかった。

    「あの、僕……自分の家を探していて。久しぶりに帰ってきたらなくなっていて。あ、僕ジルです。ジル・カリエ」

    婦人の怪しむような表情が困惑に変わっていく。もしかして間違った場所に降りてしまったのだろうか。だんだん不安になってきた僕をよそに、婦人は少し思案して「ああ、あの火事の!」と突然声を上げた。

    「火事?」

    「ええ、落ち着いて聞いてちょうだいね。たぶんあなたの知っている村の人たちはここにはいないわ。何年か前にひどい山火事があってね、みんな燃えてしまったの。逃げた人も、今はここにいないわ。あなた久しぶりに帰ってきたから知らなかったのね」

    落ち着いて聞いて、と言いながらもその婦人は興奮しているように見えた。僕は震える足をどうにか踏ん張らせて「そうですか」とだけ言った。婦人は誰から聞いたのか、ペラペラと聞いていないことまで語った。山で不審火があって村の方まで火が来たこと、逃げ遅れた住民が死んだこと。生き残った者もどんどん村を去っていったこと。しばらくしてここに移り住んでくる人間がちらほらと出て、今のコミュニティが築かれていること。

    「ああ、そうそう。一人行方不明の男の子がいたって……その子が火をつけたんじゃないかって」

    「いろいろ教えていただいてありがとうございます。あの、僕はもう行きますから──」

    「そんな薄着で何言ってるの。今日泊まる場所も決まってないんでしょう? この家は女の私一人だから無理だけど、妹夫婦が斜向かいに住んでるから頼んであげるわ」

    婦人は近くにあったコートを羽織ると、迷わず明かりの灯った家の扉を叩いた。婦人とよく似た女性が顔を出す。婦人とのやりとりの間に、何度も僕の方へ視線が向けられる。女性は僕と婦人と、奥にいるであろう夫の顔色を伺い、控えめに手招きした。

    「この雪で野宿は難しいでしょうから……狭い家ですけど」

    ジェーンと名乗った女性は、困った顔で視線をさまよわせながら僕を家に招き入れてくれた。何もかも頼んでもなければ望んでもいなかった展開で、それでも野宿する勇気のなかった僕はおとなしくそれに従っていた。明らかに険しい視線を向けてくるジェーンの夫に小さく会釈をし、勧められるがままに椅子に座る。暖炉の薪がパチパチと燃え、食卓には小さな鍋が置いてあった。壁には穏やかな絵画が掛けられていて、ジェーンの居場所らしいロッキングチェアにはつくりかけの編み物が置いてある。

    昔の僕の家と何も変わらない光景なのに、何もかもが違っていた。

    「お客様が来るってわかっていたら、もうちょっと多めに作ったんだけど……」

    遠回しに歓迎していないと言われたようで、僕は肩を縮こませた。小さく「いただきます」を言った以外は何も喋らず食事が始まる。知らない香りのするスープは、当然のように知らない味がした。真っ赤だけどトマトではない。トマトよりも血に近い色のスープは少し酸っぱかった。食欲はなかったが残す選択肢はなくて、どうにかたいらげた。

    「ごちそうさまでした」

    「客間にベッドを置いているから、そこで寝るといいわ。案内しましょう」

    「何から何まで、すみません……」

    「いいのよ。姉さんは困ってる人は全部拾っちゃうの。拾った後に面倒を見ないこともよくあるけど、ね」

    ジェーンが案内してくれたのは食卓のある部屋の二つ隣で、彼女は窓辺にあった蝋燭に火を灯してくれた。柔らかい明かりが小さな部屋を満たす。綺麗に手入れされたこの部屋には、一つも絵が掛かっていなかった。

    「ごゆっくり」

    どこまでも皮肉か曖昧な表現をするジェーンにお辞儀で返事をし、部屋を見回す。きっと僕より前にも人が来たのだろう。床には塵一つなく、ベッドも綺麗に整えられている。マレの森の小屋で、というよりも昔の家でさえこんな上等なベッドで寝たことはなかった。試しに寝てみるが、柔らかすぎて体の置き場に困ってしまい、すぐに起き上がった。綺麗な部屋だったが、やはり居心地は悪かった。

    一人になると、よく喋る婦人の話を思い出して胸がざわつく。僕の故郷は本当になくなってしまったんだろうか。すべては悪い夢で、起きたらマレの森の小屋にいて、ローラが「おはようございます」なんて言って笑うんじゃないだろうか。

    寝るに寝られず、柔らかすぎるシーツの上でぼんやりしていたら、微かな声が廊下を通して聞こえてきた。どこかの戸が開いていたのか、それともこの家が音の響きやすい造りをしているのか。

    「……あの男が火をつけたんじゃないのか」

    会話がなかったせいでほとんど知らなかったジェーンの夫の声がする。思ったよりもよく声が通るらしい夫の言葉は、しっかり僕の耳に入って胸を貫いた。盗み聞きする罪悪感とこのまま眠ったときの焦燥感を秤にかけ、僕はそっと廊下に出た。

    「あの人、すごくおとなしそうな人よ。だいたい山火事が誰かの仕業っていうのもただの噂だったじゃない……」

    「でも火事と同時に山に一人でいた男が消えたんだろ? そいつが戻ってきてまた火をつけないってどうしてわかる?」

    「どうしてそんなことするの。別にこの村だって豊かなわけじゃないし……」

    「ああいう輩に理由なんてないさ。やりたくてやるんだよ。このままあの男が本当に何かしたらどうする? 無事だったとしても、怪しい余所者を泊めてまんまと火をつけられた間抜けのレッテルが貼られるんだぞ。お前の姉さんだって……」

    だいたいわかった。僕はもはやこの程度ではふらつかなくなった足を動かして寝室へ戻る。閉鎖的な村で、他所から来た人間は歓迎されない。僕が住んでいたかつての村だってそうだったし、僕も当時は外から来た人間を少しだけ警戒していた。まさかその故郷に帰ってきて余所者扱いされるとは思っていなかったけど。

    ここを出ようと決めた。怪しげな目を向けられてまでここに留まる理由もない。ただ火事で人が死んだ、残りは出て行ったというのが結局噂なのか本当なのか何もわからなかった。僕の両親は今どこにいるんだろう。移り住んだ先で元気にやっているのだろうか。ジェーンが知っているとも思えないけど、明日になったらダメもとで聞いてみようと思った。



    朝、それとなくジェーンに聞いてみたが、やはり何も知らなかった。ごめんなさいね、と眉を下げるジェーンとそれを睨んでいる夫を前にして、それ以上僕は何も聞けなかった。

    お礼もそこそこにして逃げるように家を出た。雪は夜通し降っていたようで僕の足首の高さくらいまで積もっていた。なるべく足を高く上げるようにして歩いていると、こうやって昔この道を家族と歩いたことを思い出した。この村にいると、どうしても存在していない部分を見つめてしまう。周囲を描き込むことで主役の不在感を演出……批評家みたいな言葉が浮かんで、なんだっけと首をかしげたが、すぐに答えは出た。僕が描いた(そしてマレの森が主役を外へ連れ出した)あの絵を初めてみたローラの言葉だ。

    あてもなくザクザクと雪の感触を確かめていると、いつのまにか村の外れまで来てしまった。まだ誰も踏みしめていないらしいその場所には、あちこちに黒い石が立っていた。

    「……あ、墓だ」

    村にいた頃、人が死ぬことはそれなりにあった。もう年だった老人とか、生まれてすぐに死んでしまった赤ん坊とかだ。この墓地は、そういうときに村中の人間がやってきて死を悼んだり、故人の思い出を語る場所だった。

    どうして今まで忘れていたんだろう。ここには、僕の家の墓もある。僕が生まれてから、家族に死んだ人間はいなかったから、常にここは顔も知らない先祖たちに会いに行く場所だった。墓まで新しい村人たちのものになっていたらどうしようと思っていたけど、雪をかき分けて一つ見つけたそこには、知っている名前があった。自分の家の墓石の場所ははっきり覚えていない。震える指先で一つひとつ雪をかき分けて名前を見た。

    七個目にしてようやく「カリエ」の文字が見えた。村でカリエの性を持つのは僕の家族だけだった。墓が残っていたことにホッとした僕は、しかし名前の欄を見て凍りついたように動けなくなった。

    マーサ・カリエ。母の名前だった。震える指で名前をなぞる。名前の下には「ノネットの山火事で死す」と書いてある。本当に火事があって、五年前に母は死んでいた。すると、父は? 硬直が解け、周囲の雪を乱雑に払う。母の墓石の隣に寄り添うように並んでいた「ペトロ・カリエ」の名前を見た瞬間、僕は力が抜けて雪の上に尻餅をついた。水を含んだ重い雪がコートを濡らしていく。

    帰りたいと願った故郷に帰ってきたはずだった。まさか迎えてくれる人が誰もいないなんて考えもしなかった。僕の故郷の記憶は、マレの森に引き込まれる直前に山へ行ったところまでしかなく、それ以降はずっと森で暮らしていたからだ。しかし今になって山へ行った事実が重くのしかかってくる。

    本当に火をつけたのが僕だとしたら? 都合よくその事実を忘れて、森に囲われているなんて全部妄想で、ただ五年間逃げ続けていただけだとしたら? どうして今になって帰ってきてしまったのだろう。これもすべて意地悪な森の仕業だろうか。それはいくらなんでも、あんまりじゃないか。

    気付けば足は山へ向かっていた。重いコートを引きずって、震える足をどうにか持ち上げて走った。途中怪しげに僕を見る今の村人とすれ違ったが、気にしていられなかった。

    山に着くと、昨日とは違うものが見えてくる。道標に結んだ僕の名前が刻んであるリボンが、記憶よりも断然少ない。焦げた跡こそ見えないけれど、手前側の木の背が奥側と比べて低い。それに昔は山に沿うようにして何軒も家が建てられていたのに、今は山から大きく距離を空けてポツンと一軒だけ家が見える。きっと火事から教訓を得た新しい村人たちは、山から離れたところに家を建てるようにしたのだろう。

    ほとんど自棄になりながらも道とも言えないような場所を登っていると、雪の上に何かが落ちていた。リボンだ。木に結びつけたものがほどけたか切れたかして落ちてきたらしい。拾い上げると「こ…り危険。立…禁」とかすれた文字が見えた。

    「こ……ここより危険。立ち入り禁止」

    ひゅっと喉奥が鳴った。頭がガンガンと痛む。脳みその中で何かが「ここから出せ」と暴れている。それをまた何かが必死に止めているような気配があった。結局口から吐き出されたのは馬鹿みたいな慟哭だけだった。帰りたい、帰りたい。ここはどこだ、昔の僕の家は。僕の家族は。こんな場所知らないんだ、帰してくれ。返してくれ……

    自分の声がどこか遠くに聞こえた。再び叫び出そうとして息を吸い、その冷たさに咳き込んだ。寒い。そういえば雪が降っていたのだった。僕はリボンを握りしめたまま仰向けに倒れ込むと、そのまま目を閉じた。気が遠くなっていって、このままだと死ぬかもしれないなんてことも、全部遠い出来事のように思えた。

    続きは毎週月・木曜に順次公開予定です!
    日程は公開リストよりご確認ください。

    『龍が泳ぐは星の海』はこちらに掲載しています。

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