「第1回 CGWORLDノベルズコンテスト」では、受賞候補2作品を選出し、CGWORLD.jpにて各作品を全12回にわたって掲載いたします。その後読者投票により各賞を決定し、それぞれ書籍として刊行する予定です。
「CGWORLDノベルズコンテスト」概要
第1回 CGWORLDノベルズコンテスト
■今後の予定
12月8日(金)〜:CGWORLD 305号とCGWORLD.jpで掲載と読者投票スタート
2024年3月頃:書籍時の扉絵イラスト募集
2024年6月頃:読者投票&扉絵イラスト結果発表
本文
食事を終え、スケッチブックを持って外に出る。針葉樹ばかりのこの森で、紅葉は起こらない。ただ寒さが深まって雪がちらつくようになるだけだ。今日は少し肌寒いものの天気が良い。小屋の前に置いた椅子に腰かけると、いつものように筆を握った。
龍、といっても昔に絵本で読んだことと、昨日ローラに言われたことくらいしか印象がない。おぼろげな記憶で筆を動かしてみるも、やはりしっくりこない。太陽がかなり高くなるまで紙と格闘していたが、わかったことといえば自分には想像力がないということだけだった。当然のように紙から龍が出てくることはない。
「調子はいかがですか?」
お腹空きましたねえ、とのんきな声でローラが森の奥から姿を現した。スケッチブックを覗き込み「はて?」と首をかしげる。
「動きませんか」
「微動だにしない」
「そうですか。こちらも逃げられてしまいました。どうにもすばしっこい方のようで……ひとまずお昼にしましょう。市場の美味しい店、教えてください」
ローラは僕が握りしめていた筆を抜き取ると、背中を押す。空腹感は特になかったが、食べたくないほど頑なな気持ちでもなかったから押されるままに従った。
「僕、市場では画材しか買ったことないから食べ物は知らないよ?」
「ええっ、では今までは……ああ、食べてこなかったんでしたね」
ほとんど昨日と同じやり取りをすると、ローラがじろりと下から僕をにらんだ。おとなしくローラについていって食べたいものを買ってやることで手打ちとして、僕らは町へ赴いた。
「まずは地図を買います」
「え、なんで?」
「絵から抜け出した龍があなたの故郷までの道を知っているとでも? ここと故郷がどれだけ遠いか、あなたさえ知らないのに!」
返す言葉もない。僕はずんずんと前を進んでいくローラにただ黙ってついていくことしかできなかった。ローラと一緒に市場を歩いていると、五年も住んでいたのにほとんど知らなかった光景が自然と目に入ってくる。屋台の奥に本棚が設置され、机に雑に本が並べられているところでローラが立ち止まった。本に埋まる勢いで熱中している店主に話しかけたローラは、一言二言会話をしてから僕の方を振り向いた。
「十リランだそうです」
「え、あっ、ちょっと待って!」
パンツのポケットから硬貨を出す。ローラは僕から受け取った硬貨をそのまま店主に渡し、縦長に畳まれている紙を受け取った。
「さ、次はご飯ですよー」
僕の手に買ったばかりの地図を押し付け、颯爽と歩いていく。人ごみの中で小さな頭を見失わないように追いかけていると、聞いたことのある野太い声がした。
「お、なんだ連れがいるなんて珍しいな。妹か?」
煮込み料理屋の男がそう声をかけてくる。適当に笑ってやり過ごそうとする僕の腕を引っ張ったローラは、にこやかに「ええ、そうです」と返した。思ったより力が強い。
「こちらでは何を売っているのですか?」
「今日は鶏肉とジャガイモのシチューだ。五リランだよ」
「いただきます。二人分ください」
「嬢ちゃん……妹なんだっけか? いつも兄貴には世話になってるからな、二杯で七リランでいいよ」
「おや、よろしいのですか。ではありがたく」
僕のポケットからためらいなく硬貨を抜き取ったローラは、シチューの入った器を両手に持ってほくほくと微笑んでいる。器を一つ受け取り、慎重な足取りで小屋へ帰る。地図と器で両手がふさがっている今、こけたら台無しだ。
テーブルにシチューを二つ並べて簡単な昼食をとる。食器もたいしてない小屋だったけれど、ローラは自分の分のカトラリーセットなるものを持参していた。木で建てられたこの小屋で銀色に輝くスプーンがひどく浮いている。
「そういえば、逃げられたって?」
「ええ。大変足の速いお方で、追いつけませんでした。多分走って追いかけるのは難しそうですし、別の手を考えます」
「ん、わかった」
少しがっかりしたが、収穫ゼロはこちらも同じだ。冬を越すまでに時間はまだあるのだし、そもそも五年間出られなかったのが一冬で解決するというのだから、そう焦る必要もないだろう。
「そうそう。午後から試していただきたいことがあるのです」
「試す? 龍を描く以外に?」
「ふぁい」
ローラはスプーンを口に入れたままうなずいた。綺麗なスプーンの持ち方で、口に運ぶまでに大量の具をこぼしている。別によそ見をしているわけでもないのに不思議だ。
「タヌキ、リス、クマ……は危ないからやめておきましょう。ゾウにしようかな。うん、それとガーゴイルを描いていただけますか?」
「ちょ、ちょっと待って」
リストアップにローラの独り言が混ざったり、知らない名前が出てきたり、訳がわからなかった。慌ててシチューを飲み干すと、スケッチブックにペンでメモを取る。
「タヌキ、リス、クマ?」
「いえ、それはやめておきます。ゾウとガーゴイルです」
「両方、見たことないけど」
「ええ。だから描いていただきます。大丈夫です、資料ならこちらに」
ローラは例のリュックを叩いてみせる。
「試すって、何を?」
「何なら実体化できて、何ならできないのかを。この森の主とお話しはまだできていませんが、どうも悪い方ではなさそうなんですよね。私のこともすんなり森に入れてくれましたし、ジルさんの扱いも森の周辺から出さないようにしている以外は酷いこともしていないようですし……」
閉じ込めるのは酷いことじゃないんだろうか。そう首をかしげたが、ローラがその後に続けた「森の養分にしたいだけなら土の中に引きずり込んで生かさず殺さずでいいんですもんね」の言葉で、元の位置に首を戻した。なるほど、その極端な例がどれほどの頻度で起きているかは知らないが、それに比べたら確かに破格の待遇と言える。
「森の主の善悪と、実体化できる絵に何の関係があるの?」
「龍の絵が実体化しないのは、森が悪意を持ってそうしているわけではないんじゃないかという話です。ほかにできない理由があるのかもしれません。本人に聞けないので試すしかないでしょう」
「なるほど……描き慣れないものは時間かかるけど、いい?」
「ええ、お待ちしております。その間に私も森の主を捕獲する方法を考えますので」
そういうことになった。
その日の夜、ローラはいつもの少女姿ではなく、中年の女性の姿でベッドにやってきた。
「……なんのつもり?」
「昨夜うなされていましたので。寝物語でも、どうかと」
「いいよ、もうずっとこうだし。冬は特にそうなんだ」
寒さのせいか、あるいは初めてここに来たのが冬の季節だったからか。この森に一人で放り出されたとき、暗闇の中で雪だけが降り積もり、ほかに生き物の気配がまったくしないことに慄いた。それ以降、この場所で過ごす冬は苦手だ。
「そういえばこの小屋ってジルさんが建てたのですか?」
「いや。ここにあったのを使ってるだけだよ」
「へえ……やっぱり妙に親切なんですよねえ。人の感情の機微に疎いだけというか。うむ、やっぱり子どもですかねえ」
ぶつぶつと呟くローラの声がいつもより低い。それでもずっとブロンドの髪は変わらないままで、それがあるだけで少し安心できた。
「さて……今日は何を話しましょうか」
「寝物語のこと? いいって別に」
「これは私が、群れをはぐれたユニコーンと共に旅をしていたときの話なのですが──」
三度目の「いいよ」は出だしのインパクトに飲み込まれて言えなくなってしまった。落ち着いた女性の声が朗々と物語を紡ぐ。嘘か本当かもわからない話を聞いているうちに、僕の意識は眠りへと落ちていった。
続きは毎週月・木曜に順次公開予定です!(祝日及び年末年始を除く)
次回は、1月5日公開予定です。
日程は公開リストよりご確認ください。
『龍が泳ぐは星の海』はこちらに掲載しています。
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