CGWORLD本誌での連載「Observant Eye」が3年目に突入した森田悠揮氏。弱冠 26歳ながら、リアリティのあるクリーチャーやキャラクターデザイン、スカルプティングを駆使した造形技術などで他の追随を許さない、孤高のCGアーティストだ。そんな森田氏の連載をベースにした初の著書『The Art of Mystical Beasts ZBrush、Photoshopほか、デジタル技法で描く幻獣アート』の出版を記念して、クリエイターとしての原点をふり返ってもらった。

INTERVIEW_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_沼倉有人 / Arihito Numakura(CGWORLD)
PHOTO_弘田 充 / Mitsuru Hirota



<1>祖母の部屋にはテレピン油の匂いが染みついていた

ーー月並みの質問ですが、現在おいくつですか?

森田悠揮(以下、森田):26歳です。

ーーよく「3年・10年・30年」などと、言いますよね。

森田:そうなんです。ちょうどプロとして商業活動をはじめめて3~4年が経過して、ある意味岐路に立っている感じです。

ーーえ!? われわれから見れば、順風満帆に思えるのですが?

森田:んー......。



  • デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)
  • 森田悠揮/Yuuki Morita
    1991年生まれ、名古屋市出身。2014年、立教大学現代心理学部卒業。在学中からフリーランスとしてキャリアをスタートし、卒業後の現在はフリーランスのデジタルアーティスト、キャラクターデザイナー。TV、映画、ゲーム、CM等に登場する生物や怪獣のデザイン、CG制作を中心に活動中。月刊CGWORLDにて「Observant Eye」連載中。

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ーーデジタルアーティストという芸術系の道に進まれたのは、お母様の影響が強いそうですね。

森田:僕が子どもの頃、母親はWebデザイナーだか何かをしていました。今はアクセサリーを作ったりしてます。その影響で、子どもの頃からPhotoshopとかペイントソフトなどを触って遊んでいました。

ーー母親がWebデザイナーとは、まさに「平成」という感じですね。

森田:ただ、うちの家系で言うと、お婆ちゃんが最強でした。油絵を描いていたんです。3歳くらいから、その姿をずっと見ていました。子どもの目からみても上手いというか、味がある絵だったんですよね。絵やピアノも小さい頃、お婆ちゃんに教わったり。芸術系のことはひと通り、お婆ちゃんと一緒に遊びながら楽しんで。それが原点だった気がしますね。僕も3歳くらいから小学校4年生くらいまで、めちゃめちゃ絵を描いていました。

ーーアトリエみたいなものがあったんですか?

森田:いえ、祖母の自室をアトリエ代わりにしていました。部屋に入ると油彩特有のテレピン油の匂いがしていて、その匂いをかぐと、今でも当時のことを思い出します。うちは母子家庭なのですが、幼い頃、父親にもポケモンの絵を描かせたことがあって、けっこう上手かった記憶があります。母の弟も、バリバリ現役の漫画家で活躍してますし、少しでもそういう遺伝子を受け継いでいればいいなあ(笑)。

ーー学生時代の部活動などは?

森田:その影響もあって、まったくスポーツに興味がない子どもに育ちました。小学校時代もゲームをやったり、絵を描いたりと、インドア派でしたね。スポーツ系の部活動なども、バスケとかサッカーを一瞬だけやったのですが肌に合わなくて、、、すぐ辞めるということをくり返していました。

ーーすごくスポーツをやっていそうな、恵まれた体型ですが......。

森田:いやいや、かじったくらいで、スポーツの熱意はまったくない子どもでしたね。特に中学生時代はこれまでの人生で最もひきこもりがちな時期でした。学校でめっちゃいじめられていたんです。学校が楽しくなくて、放課後は家に帰ってPCでゲームをやったり、ネットしたり。

ーーそうだったんですか。

森田:逆に高校では、めっちゃ普通に青春しました。部活動は軽音部でバンドをやって、放課後は友達と毎日遊びに出かけて。普通に楽しかったです。逆に絵を描くといった芸術系の活動は、まったくやらなくなっていました。

ーーバンドは何をやられていたのですか?

森田:楽器はドラムでした。もっとも本気でやっていたわけではなくて、趣味の一環で、ラウド系バンドのコピーバンドとかしてました。なんだかんだで大学でも続けていましたね、CG始める直前まで。

ーー音楽がお好きなんですね。

森田:めちゃめちゃ好きです。

ーー一緒くたにしたら怒られそうですが、絵も音楽も同じ芸術系ですね。

森田:音楽と視覚表現はリンクしていますよ。好きな音楽が似ていると、たいてい同じような絵が好きだったりします。描く絵でも同じようなテイストがあったり。人間の好みって面白いですよね。

ーーその後、大学進学を機に上京されるわけですが......。なぜ立教大学を、そして心理学を専攻されたのですか?

森田:その前に。高校時代、ぼんやりとバンドしかやっていなかったし、勉強もたいしてできる方ではなかったし、このままでいいのかなと思い始めまして......。本当に自分がやりたいものってなんだろうと考えたとき、子どもの頃に夢中だった美術を思い出しました。ゲームも好きだったので、漠然とゲームグラフィックとかつくってみたいなと思ったりも......。3DCGについては、中学時代から知っていて、漠然といつかやりたいなとも思っていました。



デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)

ーーなるほど。大学での専攻以前に、そうした夢を抱かれていたわけですね。

森田:本当に漠然とですけどね。そんなこんなで大学を探したら、私立大学で映像系の授業があるところをいくつか見つけました。立教大学の現代心理学部や立命館大学の映像学部とか。そうした大学に行けば、CGや映像が学べるチャンスがひょっとしたらあるのかなと考えたのです。

ーーまた、同時期に映画『アバター』(2009)をご覧になられて、衝撃を受けたとか。

森田:ちょうど高校を卒業したあたりだったと思います。『アバター』以前にもVFXを多用した作品を、いわゆるハリウッド大作を観ていて、3DCGってなんでも表現できるんだなと。ただ単純に視覚表現のツールとして興味を抱いていました。

ーーそのほかにはどんな映画が好きでしたか?

森田:CGという意味では、小学生か中学生のときに観た『デイ・アフター・トゥモロー』(2004)が自分にとって衝撃でした。逆に『マトリックス』や『スター・ウォーズ』などの自分よりも上の世代の方々に支持されている作品はあまり観たことがありません。単純にビジュアルの圧倒感という意味で『アバター』はまさに衝撃的でした。それとは別に怪獣映画も昔から好きで、『ガメラ』シリーズや『モスラ』シリーズなどよく観てました。

ーーマンガやアニメはいかがですか?

森田:アニメは小学生の頃に、人並みに観ていたくらいですね。マンガも特には。

ーーゲームはどうでしょう?

森田:人並み程度だと思いますが、1つのタイトルをやり込むタイプでした。『ポケットモンスター』『キングダムハーツ』『ファイナルファンタジー』シリーズなどです。なかでも『ポケモン』は、今の僕の生き物やクリーチャー好きの土台になっています。一応初代『ポケモン』から全作プレイしてますし、最新作『ウルトラサン』『ウルトラムーン』もこれからやりますよ。

ーー話を戻して大学進学についてですが、美大に行こうとは考えませんでしたか?

森田:ちょっとだけ思いました。ただ、当時は漠然と美大と言われても、よくわからなかったんです。

ーーお母様は美大出身ではないのでしょうか?

森田:いえ、東京の私立大学で、人文系でした。いちど美大に進学したいと、ちらっと母に言ったのかな。そうしたら「大丈夫なの? なにも勉強してないじゃん」と返されて、確かになと。

ーー逆に説得されてしまった(笑)。

森田:僕の真剣さが伝わらなかったというか、本当に漠然としていたからでしょうね。母親には「(それなら)一般私大に行っておいたら?」と言われて。僕自身も体系的に美術を学んだこともなかったので、結果的に私立大学を目指したという感じです。後悔はしていませんけど、アーティストとして飛び抜けたいという意志が、もっと小さな頃からあれば、美大に行っていたと思います。

ーーとはいえ、立教大学もかなりレベルが高いじゃないですか。

森田:いわゆる入試という点では、私大の中ではそうですね。ただ、第一志望が早稲田大学の文化構想学部だったんです。なんとなく、自分の興味分野にかすっていたというだけなんですが......。純粋な映像というよりは、人文学の知見を現代的な視点や新しいテクノロジーから捉え直し、学術的に研究していくという学部でした。でもそこは落ちちゃったんですよ。補欠合格までは行ったんですが......。その一方で立教大学に合格したので、こっちに行こうと。われながら本当にふんわりと進学しました(苦笑)。

ーーまとめると映画が好きだからとか、3DCGが好きだからというような、明確な理由があったわけではなかったんですね。

森田:さっき言ったようにCGには興味ありましたが、その当時から本気だったらCG系の専門学校に行かせてほしいと頼んでいたと思います。めちゃめちゃ漠然としていましたね。

ーー一般論ですが、男の子よりも女の子の方が早熟ですよね。一方で、何かスイッチが入ると、そこからガーッと伸びるのが男の子というか。

森田:そうですね。僕の場合は上京して、大学に入って、デジタルハリウッドに行ってから、スイッチが入りました。



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<2>専門学校で3DCGを学んで"スイッチ"が入った

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<2>専門学校で3DCGを学んで"スイッチ"が入った

ーー大学は楽しかったですか?

森田:めっちゃ、楽しかったです。立教大学の映像心理学部は心理学と言っておきながら、かなり哲学的な要素が強いものでした。どうやったら現実にその知識を当てはめれば良いんだよという授業ばかりで......。自分としては面白かったですけどね。

ーー在学中にCGを勉強しようと思ったきっかけは?

森田:文系の大学生って暇じゃないですか(笑)? 自分は特に、フワっと入って、フワっと過ごしている大学生だったので。1年生のときは普通に授業に出て、バンドをやっていました。オリジナルバンドも学外でやっていましたが、それを職業にしようとはまったく考えてなくて。CGをやると決めてからはすぐに辞めてしまいました。

ーーよく見聞きするケースは、大学を卒業して、社会人になってから夢をあきらめきれなかったというものですが、Wスクールはいかがでしたか?

森田:デジタルハリウッドの土曜日コースに通ったんです。土曜日だけ、1年間通うというもので、社会人の方が多かったですね。

ーー土曜日だけデジハリに行って、あとは部屋で引きこもって課題をやっていた?

森田:課題はほとんどなくて、正直ほぼ独学でした。授業もCGがどのように出来上がるのか、体系的にMayaの基礎を学ぶのにはとても良かったのですが、ZBrushは扱いませんでしたし、学んだことを作品に反映させるには、自分の力でやらないといけなくて。ひたすら家でYouTubeやチュートリアルの動画を見ながら勉強しました。こらへんはどの専門学校に行っても同じだとは思いますけど。

ーー森田さんには合っていたわけですね。自分の中に表現したいものが明確にないと、自主制作は腰が重くなるので。

森田:そういう人は向いてないと思います。

ーーCGのどういったところが面白かったのですか?

森田:もともと内向的な性格で、人とあまり係わりたくなくて。ひとりで完結できて、ゼロから最後までつくれる、PCさえあればつくれるんだと思って。そこが僕にとっては、めちゃめちゃ魅力的でした。あとは表現したいものがあったのが大きいですね。一生遊べるおもちゃを手に入れたぞー、みたいな。

ーープログラマーにも、そういった方がいらっしゃいますね。プログラムって、自分の書いたコード以上のことはできないじゃないですか。間違えたら絶対に動かない。逆に言えば、絶対に裏切らない。何かコードを書いたら、すぐに結果が返ってくるという、反応の早さも特徴的です。

森田:まさに、そんな感じですね。仕組みさえわかって、ちゃんと入力すればすごいものができるという。もともと手描きのアートを必死にやっていたわけでもなく、体系的に勉強してきたわけでもないので。入口として、自分には入りやすかったです。

デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)

ーー当時のモチーフはどんなものでしたか?

森田:デジハリに通っていたときは作業自体が楽しかったんですよ。初心者だったので、できるということ自体が楽しくて。どんな作業でも好きでした。

ーーレンダリングできちゃったよ的な。

森田:そうそう。ひたすら技術をモノにしていく感覚が楽しくて。そういう時期が都合、2年くらい続きました。それがだんだん減ってきて、なんか足りないなと思って、本当に自分がつくりたいモノってなんだろうと、原点に戻るときがあるじゃないですか。そういう波は今後もあると思います。

ーー確かに。仕事でも趣味でも、そうしたくり返しがありますね。

森田:何年周期か個人差もあるのでしょうけどね。

ーーCGについては、物理学や数学的な理論も必要だと言われますよね。そうした原理がわかってないと、パラメータをいじったときに、何が問題で意図した画にならないのかわからなくて、苦労すると聞きますが......。手描きの絵だと自分で陰影を描かけば済んでしまう場合でも、CGだとそういうわけにはいかない的な。

森田:うーん、レンダリング式の研究みたいな数学的に難しいことをしていたわけでもないので、特にそうした苦労は感じませんでしたね。むしろ「このパラメータをこうすれば、こうなる」というところから入ったので。それが当たり前になっているので、むしろ絵を描く方が難しいですよ。CGだと、このテクスチャをこのスロットに貼って、このパラメータをこういじれば、こうなるじゃんと、順を追っていけるので。

ーー子どもの頃にPhotoshopにふれていたことも大きかったですか?

森田:ふれていたとは言え、年に数回遊びで描く程度でしたよ。むしろ、Photoshopとか、そういったデジタルツールに対する抵抗感がなかった、ということの方が大きかったですね。

ーー現在はZBrushなど、デジタルスカルプトが主体のモデル制作や静止画を中心に活動されていますが、専門学校に通っていた頃からこうした道を考えていたのでしょうか?

森田:いいえ、全然。デジハリ時代は動画制作が中心でした。僕の卒業制作も『The Point』という動画の作品です。ひとりで完結できるのが楽しくて。その時は造形を専門にやろうとかは思ってなかったです。Mayaがメインツールで、ZBrushは機能は知っているけど、本格的な作品を作ったことはありませんでした。

thePoint from yuukimorita on Vimeo.

  • デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)
  • デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)

『The Point』(2012)

ーー当時の生活スタイルはどんな感じでしたか?

森田:デジハリに通っていた頃は、睡眠時間は少なめでしたね。ずっとPCに向かっていました。デジハリは夜間など空き時間は教室が開放されているので、朝まで自習できるんです。文字通りデジハリに泊まって、ずっとCGをやっていました。純粋に楽しかったんです。将来設計なども考えず、ただ目の前にある技術をひたすら自分のものにしていく感覚が新鮮でした。受験勉強とちょっと似ている感じもあって。

ーーやればやるだけ習得できるという。

森田:そうそう。やればできて、できるようになると、もっと楽しくなって。良いスパイラルが出来上がってました。

ーーまさに"スイッチ"ですね。

森田:スイッチって、ある程度のところまでいくと、誰でも入るんですよ。そこまでテンポよく行けるかだと思います。



<3>自分のルーツをさぐる

森田:デジハリに入学して半年ほど経った頃に動画課題が出されたのですが、全工程をひとりでやってみて、のめり込めるものがわかってきました。まずは画づくりが好きなんだなと。最終的な画の雰囲気を見出す作業が性に合っていました。それと同時にモデリングも当時からのめりこんでいましたね。ちまちまとオブジェクトを積み上げて、ひとつの画が出来上がっていくことが、気持ちよかったですね。

ーージグソーパズルを作り上げていくような。

森田:そうですね。背景モデリングとかって、1つ1つのパーツをチマチマと作って、気づいたらすごいものが組み上がっているという感覚があるじゃないですか。当時はその感覚がしっくりきて。背景をつくるのが好きでした。それと、最終的な画づくり。コンポジットやグレーディングといった作業が本当に好きでした。逆にアニメーションなどは必要最低限しかやっていませんでした。

ーー最後のちょっとした処理で、画の雰囲気ってガラッと変わるときがありますよね。

森田:そうそう。画づくりと造形が好きだなというのが、このときにわかりました。

ーー造形でも、キャラクターと背景などを構成する静物では、後者のモデリングの方が好きだったのですか?

森田:正直深くは考えていませんでした。単純に初めてのちゃんとした作品がエンバイロンメントで、その延長で風景づくりにのめり込んでいった感じだったと思います。キャラクターも時々つくっていましたけど。

ーー風景をつくるのが好きという人は世界観がつくりやすいからだとも言われますよね。ターンテーブルのキャラクターだけで世界観を描くというのは、けっこう大変じゃないですか。

森田:そうですね。あとは単純に造形力やデッサン力がなかったんですよ。いきなりMayaやZBrushを与えられても良いキャラクターをつくれるわけもなく。

ーーいわゆるデッサンなど、基礎的な美術の勉強は?

森田:したことがありません。小さい頃、お婆ちゃんと一緒に絵を描いたこと以外、まったくないです。でも今の時代、僕みたいにデジタルから入る人も多いんですよね、アナログとかデジタルとかもはや関係ないですよ。入口はどっちでもかまわない。

ーー楽器が演奏できなくても、DTMですごい楽曲がつくれる、などと同じ感じでしょうか?

森田:何を表現したいのか、その表現の良し悪しが自分の中でわかっているということですね。

ーーとは言え、何も勉強していないと、それすらボンヤリしてしまいませんか? そこを言葉で伝えられるようにするためには、いろいろと学ぶべきこともあるのかなと。

森田:たしかに。

ーーそれが漠然とでも身についていたのがすごいですね。でなければ、魅力的な作品はつくれませんよ。

森田:そこはやっぱり家庭環境のおかげなんでしょうね。幼少期からいろんな場所に連れて行ってもらいました。博物館に行って、化石を買ってくれたりとか。隕石とか化石が、すごく好きだったんですよ。めっちゃ高いのに買ってくれて。ピンポン球くらいの隕石が2万円くらいしたのに。

ーー自分が親だったら「そんな石じゃなく、別のおもちゃにしなさい!」とか言ってしまいそうです(笑)。

森田:そうなんですよ。そんな母親って、なかなかいませんよね。ガチの隕石でしたから。

ーー博物館に行くことが多かったのですか?

森田:展覧会とか科学館などにもよく連れて行ってもらいました。石(鉱物)については専門店があるんですよ。宝石とか隕石とか化石とかを売っているお店が。

ーー絵画作品を買ってもらうことはありましたか?

森田:自分が描く以外は全然興味なかったですね。自然とか動物が好きで、それが今にもつながっているのでしょうね。

ーーインドア派だけど自然が好き。

森田:自然という概念が好きなんですよね。公理系っていうのかな、そういう世界の仕組みや姿形に小さい頃から惹かれてました。

ーー図鑑を眺めているのが好きだという、男の子は多いですよね。本は読まないけど、絵だけ見ているみたいな。そこから妄想を膨らませて。そういえば『ポケモン』も図鑑を完成させるゲームですよね。

森田:よく男は意味じゃなくて形と感覚にこだわるって言いますしね。『ポケモン』こそ、まさに生物とエンターテインメントを絶妙に融合させたゲームじゃないですか。ポケモンのデザイン自体も現実の生き物をベースにつくられていて、自分の作風とはテイストはちがいますけどすごく参考になりますよ。

ーー『ポケモン』の生みの親として知られる田尻 智さん(ゲームフリーク代表取締役)も以前、同様のことを言われていましたね。『ポケモン』は昆虫採集の文化がない国や地域、例えば中東などでも人気なんです。自分は昆虫採集の経験をベースにポケモンをつくったけど、それとゲームとしての面白さは、また別なんだと。

森田:なるほど。

ーーその一方で、日本ほど昆虫を愛でる文化がある国や地域も、また珍しいかもしれません。

森田:やっぱりシャーマニズムというか、八百万の神々が息づいている文化があるからなんでしょうね。

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<4>大学3年生で商業デビュー

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<4>大学3年生で商業デビュー

ーーデジハリに通われたのは1年間だけですか?

森田:そうです。卒業制作『The Point』をいろいろな方に観てもらえたことで、仕事につながりました。

ーーTwitterでも話題になったことを覚えています。

森田:当時から影響力のあった田島(光二)くんや、ほかにもたくさんのプロの方々に褒めてもらい、リツイートで拡散してもらえたことが大きいですね。頭が上がりません。

ーー田島さんなど、そうしたクリエイターの方々とはどうやって知り合ったのですか?

森田:Twitterですね。相互フォローをして、なにかのセミナーで直に顔を合わせたのを機に親交を深めるみたいな。田島くんともそんな感じでした。

ーー同業の方で、初めてリアルに親交を深めた方が、田島さんだった?

森田:そうですね。同年代ということもあり、彼の存在はめちゃめちゃ大きくて、おかげでより一層自分もがんばろうと思えた。やっぱり同世代というのは、自然とライバル心が芽生えますよね。

ーー商業デビューは、どんな案件でしたか?

森田:大学3年生のときに、デジハリの職員か講師の方からの紹介でいただいた仕事でした。本当にちょっとしたもので難易度的にも優しいものでしたが、とっかかりとしてはむしろ良かったのかもしれません。そこから段々と難しい仕事にも取り組んでいきました。当時は仕事内容としても幅広く、映像ディレクター的なことも何度かやらせていただきましたね。紅白歌合戦の映像とか、モーショングラフィックスとか、プロジェクションマッピングとか。

デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)

『蟹の怪獣』(2016)

ーーデジハリ卒業後は、CG・映像制作がアルバイトになっていたわけですね。

森田:そうですね。ただ、日中は大学の講義も真面目に受けていたので、商業制作は夜にやるという。デジハリに通っていた頃と同様に睡眠時間を削ってました。

ーー大学で学ばれたことは、現在の創作にもつながっていますか?

森田:CG制作に直接役に立っているものはありませんね。ただ、バックグラウンドとして、自分のつくりたいものだったり、表現したいものには、めちゃめちゃ生きていると思います。

ーー中高校生の方に「CGをやりたいんですけど」と相談されたら、大学への進学を薦めますか?

森田:いいえ。ただ、どういう目的でCGをやりたいのかが気になります。

ーー「森田さんみたいになりたいです」と言われたら?

森田:素直に嬉しいですよ。ですが、それがきっかけになったとしても「あなたが本当につくりたいものや成し遂げたいことって、なんですか?」と、たずねると思います。つくっていく中で次第に見出せるのかもしれませんけどね。でも、つくっていく中で成長するしかないので、表現したいものがある程度はっきりしないと長続きはしないんじゃないのかなあ。

ーー森田さんは自分が表現したいものを、いつ頃から意識するようになりましたか?

森田:小さい頃からです。繰り返しますが、僕の場合は実在しない生物だったり、自然の仕組みが昔からすごく好きだったので。

ーーそれをCGで表現すると。

森田:そういうシステムのような抽象的なものを演繹していって、具体的な作品に落とし込んでいくという。そのシステムというのは、生物が行動をとるしくみや、人間が世界を認識している方法だとか。生態学や行動心理学のような授業ですね。クジャクって、尾羽を広げたときにできる目玉のような紋様の数が多いほどモテるらしいんですよ。そうした生き物特有の美学だったり、感覚のちがいがすごく面白い。ほかにも蜂が蜂の巣を作るときって、頭の中に設計図があるわけではなく単純な行動の繰り返しで自ずとああいう六角形のセルになっているんですよ。そういう自然の本質とかに惹かれます。ただ、こうした表現の根本的な哲学とかって、芯は変わらなくても、一生を通じて育んでいかなければいけないところだと思ってますし、まだまだ自分の中で整理できてないところも多いです。

ーーCGのアルゴリズムにも通じるところがあるかもしれませんね。

森田:たしかに。



<5>海外への道を断った後、再び関わりはじめている

ーー商業デビューから現在まで一直線につながっていると思いますか?

森田:そうですね。実は、「CG Student Awards」(※2016年より「The Rookies」へ改称)というCGコンテストで入選したことがあるんです。欧米の大手VFXスタジオやゲーム開発会社の方々が審査員で、入選するとオファーが来てインターンに行けたりするのですが、その2013年度に3位を獲得したところ、ロンドンのDouble Negativeから声がかかりました。知人を通じて「今、日本人のアーティストを探しているんだけど?」と。

ーーすごいじゃないですか!

森田:すごく魅力的だったし、行きたいとも思ったのですが、まだ在学中でしたからね。なにかモヤモヤしちゃって......。自分の最終目標がハリウッド映画にかかわることだったら即決していたと思うのですが、CGをはじめた理由はそこではなかったこともあり、どうも実感がわきませんでした。そうこう考えているうちに結局その話はながれてしまいました(苦笑)。あのとき海外に行っていたら今頃何をやっているんだろう......などと考えることもありますけど、不思議と後悔はありません。

ーーCGをはじめた理由が「ハリウッド映画に携わることではなかった」という点がすごく印象的です。

森田:どうなんですかね。むしろハリウッド映画が最高峰っていう考えって、VFX業界特有のものだし、もっと広い意味でのCG、映像業界からしたら珍しくないと思います。僕はそういう夢や目標が多様化している方が健全でハッピーだと思うんですよ。もちろんピンポイントで関わりたいタイトルとか、一流の作品に携わってみたいと思うことはありますけど、海外のスタジオに入って、数年働いて、自分の理想のかたちでその映画に関われるかどうかわからない......というのは僕にとって現実離れした選択肢なんです。それよりか、国内で海外の案件もやっていく方がよっぽど現実的だし、理想的です。

ーーなるほど。

森田:などと思っていた矢先、今年はたくさん海外の案件に関わる機会に恵まれました。今はまさに外国映画のピッチコンセプトの仕事もしています。ピッチコンセプトなのでボツになる可能性もありますけど、なによりもまずは僕の理想形を体現できてることが嬉しいんです。

ーーハリウッド映画という記号が目的ではないと。

森田:やっぱり個人としてのアーティストの立ち回り方とか、その人にしかできないジャンルとか、そういう芯をもって追求している人たちに憧れます。とは言え、ハリウッドのメジャー作品すら自分の味方につけてしまうくらいコアデザイナーとして活躍している田島くんは本当にすごいと思いますし、悔しい思いもあります。

ーーCG創作を続けている理由を改めて教えていただけますか?

森田:やっぱり自分の作品をつくることが好きなんです。もともと3DCGという自分ひとりで表現できるツールに魅了されて、CGをはじめたわけなので。

ーーアーティスト志向ですね。

森田:自分でもそう思います。

ーーその上で、自分が本当に好きなことに注力されたい。

森田:そうですね。だから就職するのではなく、フリーランスとして活動しています。野良アーティストとしてでもかまわないので、自分のジャンルをこれからもっと深くいろんな方面から追求していきたいです。

ーー海外の案件にはどのようなかたちでかかわっていますか?

森田:コンセプトデザインだったり、本番用アセットのテクスチャリングだったり様々です。自分の強みはデザインから質感まで、全てひとりでカバーできることだと思っているので、そうしたかかわり方をしています。今のところは。

ーー国内外を問わず商業制作もまた楽しかったりしませんか?

森田:楽しいです。めっちゃ楽しい。でも、その楽しみはあくまで仕事としての楽しみで、自分の中では分けています。分けないと、今自分がどこを目指しているのかわからなくなってしまうので。

ーー商業案件の受託で収入を得つつ、自分の作品もつくっていくわけですね。

森田:自分の作品をたくさんに残していきたいですね。もっと規模を大きくしたりして、もっと圧倒的なものをつくらなければとも思いますし、そのためには大きな商業案件を手がけていかないと......。わがままなんですよね。



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<6>ひとつでも多くの作品を残す

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<6>ひとつでも多くの作品を残す

ーーおひとりで仕事をされていると、また別のストレスも溜まりませんか?

森田:仕事的なストレスはほとんどありません。何だろう......。やっぱり、自分の作品をコンスタントにつくっているし、単純に誰かと遊ぶことでストレスを発散できているんでしょうね。

ーー1週間に1回必ず完全オフの日をつくる、といったことは?

森田:それもありませんね。フリーランスの魅力って、好きなときに好きなことができることじゃないですか。ただ、最近は生活が不規則にならないように気をつけてはいます。運動不足にならないように、たまにドラムを叩いたり。これもまた、ストレス解消法のひとつかな。

ーーこれまでの創作で特に思い入れのある作品を教えてください。

森田:やっぱり『The Point』(デジハリの卒業制作)です。ときどき過去の作品を見返すのですが、この作品は熱量が別格なんですよ。全工程をひとりで作業して、4ヶ月くらい費やしました。作品に込めた思いや、物理的な労力が段ちがいで未だに越えられていなくて、まずいなと......。ナルシストっぽいですけど、現時点では最も思い入れの強い作品です。

ーー良い意味で青臭さ(初期衝動)みたいなものを感じますね。

森田:可愛いです。必死にがんばっていた当時の自分がわかるというか。

ーー映画監督でも小説家でも漫画家でも、クリエイターは処女作に全てが込められていると言いますからね。作品は自分の内面を出すわけですから。

森田:何年かに1回、それを更新していきたいんです。それぞれの年代で作風や表現手法も変わてくるでしょうから。

ーー結婚して、お子さんができたりすると、また変わってくるのではないでしょうか? ライフステージが変わると、モノの見え方が変わりますし、作品にも反映されるかも。

森田:うーん、なるほど。

ーーちなみに、表現者としての自分とは別に、生身の人間としての自分といったことを考えられることありますか? 生まれて、成長し、成熟し、やがて衰えて、死んでいく中で、何を残すか、残せるかみたいな。

森田:現在の率直な思いとして、自分にとってはまず作品です。26歳でしかつくれないもの、30歳、40歳のときにしかつくれない、その時々でしかつくれないものがあって、自分の中での最高傑作を更新していきたい。そうして出来上がった作品や、それを介して関わる人たちとの交流を通じて、生身の自分も変わっていく......。だから、どんどんつくらないとモヤモヤしたまま生きることになるんだろうなあと。とは言え、友だちと遊んだり、幸せな家庭を築きたいとも思っていますよ。

ーーCGWORLDの連載「Observant Eye」もこの取材の時点で26回を重ねて、3年目に入りました。その意味では、もっと手を入れたいけど毎月の締切もあるし......みたいな葛藤もあったりしませんか?

森田:うーん、でも多分、そこまで考えてない。連載だとテーマが決められているわけではないので、何をつくっても良いじゃないですか。僕にとっては自主制作と同じなので。それで毎月、定期的にお金が入ってくるのはありがたいですよ。

ーーとは言え、"割には合ってない"と思うのですが......。

森田:単純に制作に費やした日数や労力との比較では割には合っていないのですが、楽しいから良いんです(笑)。でも、原稿料が上がってくれたら嬉しいです。

デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)

月刊CGWORLDで連載中の「Observant Eye」、232号(2017年12月号)にて第26回をむかえた。上図は、205号(2015年9月号)に掲載された記念すべき第1回『架空の大型哺乳類』記事より

ーー今年はがんばって貯金して、むこう数年は自主制作のために引きこもろう、みたいな計画はございますか? 映画監督やミュージシャンには、そうしたスタイルの方もいらっしゃるので。

森田:それはありますね。僕も来年は、商業案件はほとんど受けない期間をつくって、自分の勉強や創作活動に充てるつもりです。

ーーお話をうかがっていると、いろんな葛藤を抱えられている中のひとつに、卒制『The Point』と同等の熱量を注ぐことができた作品がつくれていないことがあるように感じます。

森田:そうですね。おかげさまで商業制作が忙しいということもあって、ひとつの自主制作に費やせる時間が減っているということはあります。もっとも、現在は動画ではなくて静止画の作品が中心です。静止画は勢いでつくれるところがありますよね。ふと思い立ってスカルプトする、Photoshopで描けるというのが魅力です。

ーースカルプティングの方がモデリングよりもお好きですか?

森田:そうですね。スカルプティングができるようになってからは、ポリゴンモデリングはあんまやりたくないな、と思うようになりました。デジハリを卒業後、2年間くらいはモチーフを問わずモデラーとして活動していました。ですが、ZBrushをメインツールとして生き物などの造形を中心に手がけるようになってからは、できるだけデザインまで担当させていただくようにしているのですが、今年はそうしたお仕事を複数いただくことができました。

ーー創作意欲に関するスイッチが入るのはどんなときですか?

森田:それは未だに自分でもわからないです。強いて言うなら、追い詰められたときとか?

ーーこれまで、どんなときにスイッチが入りましたか?

森田:それもわからないです。考えてないんですよ。気づいたらつくっているし気づいたらできているし。じゃないと物量こなせないじゃないですか、スイッチを入れなければいけないと思うこと自体がなにか無理をしているというか。別に無理をしてつくらなくても良いと思うんですよ。やりたいときにやってという。

ーークリエイターとして自己が確立されている一方で、売れたいといった世俗的な願望もおもちなところが僕らからすると親近感を抱きます。

森田:26歳の男として、海外に行った同年代のアーティストたちとキャリアを比べてしまうのは仕方ないですね。キャリアでは勝てるはずがないですから......。そこら辺はわりきって自分のこれからの方向性だけに注視していきたいですね。

ーー職業「森田悠揮」みたいなものですからね。

森田:理想はそうなのですが、まだ全然それとは程遠いです、がんばらないといけません。

ーーとはいえ、社会からの承認欲求もほしいわけで。そのバランスというのは、あらゆる表現者が共通して抱いているものでしょうね。人間ですから。

森田:そうなんでしょうね。そのバランスは永遠の課題なんじゃないでしょうか。

ーーその中でも、孤立を恐れないで突き進んでいる。21世紀的な感じがします。

森田:たしかに、自ら進んで孤立に突き進んでいるところはありますね。ただそういう人は今の時代たくさんいると思います。

ーーそういう人でも生きていける時代になったと言えると思います。語弊を承知で、昭和(20世紀)だと難しい面が多々あったのではないかと。

森田:タイミングが良かったとは思いますよ。インターネットが浸透し、3DCGをはじめとするツールも個人で手に入れやすくなった。そして良い作品をつくったら、誰かが観てくれてSNSで拡散してくれるというのは、今でこそ当たり前ですが、とてもありがたい環境ですよね。

ーーそうした"今の時代"において、当面の目標はございますか?

森田:そうですね。良い出来のものをつくることは最低条件で、クリーチャーや生物、自然とったジャンルをもっと深く、多方面から極めたいです。そしてそれが良いかたちで広がっていければ......。そうした意味では、連載をまとめた書籍「Mystical Beasts〜」を出版できたことは、すごくありがたいです。

ーー次の著書に対する願望はありますか?

森田:出版物であれば、純粋な画集を出したいですね。どこか良い出版社はありませんか(笑)?

ーー(CGWORLD/沼倉)森田さんにも機会あるごとにお話しさせていただいてますが、ぜひ"CGWORLDを成層圏を離脱するための第1エンジンとして踏み台に"していただければ!

森田:ツールや作品のフォーマットに依存することなく、自分独自のテーマにおける表現の可能性をどんどん広げていきたいです。

ーー作品制作を通して、自分なりの生き方を追求して、確立できれば良いということですね。

森田:先ほども話しましたが、VFX業界って、語弊を承知で日本よりも海外が上で、その中でもハリウッドが最上級みたいなところがあるじゃないですか? ですが、僕としてはそうしたVFX業界のメインストリームにどっぷり漬かってしまうことに不安を感じるのです。もっと自由でいたいというか。

  • デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)


ーー森田さんのまわりには、そうした既成概念にとらわれない新しいフィールドで活動されているデジタルアーティストはいらっしゃいますか?

森田:たくさんいると思いますよ。僕が知っているだけでも、サイアメントの瀬尾(拡史)さんとか、MORIEの森江(康太)さんとか、TELYUKAさんもメインストリームとは異なる面に向かっている気がします。いわゆる専門的なデジタルアーティストとしても活躍されつつ、どこかイノベーティブな精神が芯にあるというか。"アニゴジ"(※『GODZILLA 怪獣惑星』)みたいな、日本独自のアニメCGもすごいですよね。

ーーますます楽しみですね。

森田:3DCGが表現のツールとして、どんどん身近になってきた。裏を返せば、ライバルも増えるということですけどね。

ーー飛び抜けた才能が1人だけでは異端児あつかいされただけで終わってしまうかもしれない。ですが、○○世代などと表されるように同時期に複数のアーティストが同時多発で従来とは一線を画した活動を実践することがブレイクスルーにつながるのだと改めて思いました。

森田:そうした世代を代表するアーティストに名を連ねられているのであれば嬉しいですね。もちろん、そこにあぐらをかくのではなく、30歳、40歳になったときに自分としても納得できるかたちで成長し続けたいと思います。

デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)

『Patterns』(2017)

ーーここまで率直に語られたの初めてじゃありませんか? このインタビュー記事に対する反響が楽しみです。

森田:キャリアで悩んでいることに共感してくれる人は、けっこういるんじゃないでしょうか? 特に同年代だと。デジタルアーティストという職業にはもっといろんな"生き方"があるはず、ということに共感していただけたら嬉しいです。



info.

  • デジタルアーティスト、デザイナーとして、ひたむきに"オンリーワン"を追求する。(森田悠揮)
  • The Art of Mystical Beasts
    ZBrush、Photoshopほか、デジタル技法で描く幻獣アート


    CGWORLDで「Observant Eye」を連載中のデジタルアーティスト、キャラクターデザイナーの森田悠揮が、デザインコンセプトから本制作まで一連の過程を多彩な作例で具体的に解説!

    発売日:2017年12月17日(日)
    定価:3,456円
    判型:B5変型
    著者:森田悠揮
    ISBN:978-4-86246-404-0
    発行・発売:(株)ボーンデジタル