2020年11月にKDDIから発売されたスマートグラス「NrealLight(エンリアルライト)」。対応スマートフォンに接続して使用するグラス型ARデバイスだ。発売に先駆けて開発者キットとUnity向けのSDKが公開されており、誰でもアプリを開発してストアで公開できるしくみが整っている。ローンチに合わせてリリースされた『スペースチャンネル5 AR』体験版と共に、企画意図や開発の工夫やARの可能性などについて聞いた。


INTERVIEW&PHOTO_小野憲史 / Kenji Ono
EDIT_三村ゆにこ / Uniko Mimura(@UNIKO_LITTLE



VRに続いて活況を呈するARデバイス製品

「Oculus Quest 2」の発売に沸いた2020年のXR業界。それに続く2021年は、5GそしてARの年になる......。そうした期待感を裏打ちするかのように発売された製品が「NrealLight」だ。中国のスタートアップ企業、Nreal Ltd.がKDDIと共同開発したスマートグラスで、2020年12月にau Online Shopと全国のKDDI直営店で発売が開始された。大手キャリアが本市場に本格参入するとあって、発売前から話題を集めており、市場では品薄の状態が続いている。

▲NrealLight

NrealLightは、スマートフォンに接続して使用するグラス型ARデバイスだ。発売時で対応している端末は「Xperia 5 II SOG02」、「Galaxy Note20 Ultra 5G SCG06」の2機種(今後追加予定)で、通常のAndroidアプリをグラス内で表示し大画面で利用できるミラーリングモードと、グラス内で空間上に映像を映し出すMR(Mixed Reality)モードを実装している。これにより、目の前に広がる220インチ規模のプライベートな仮想スクリーンで、ゲームや動画などのコンテンツを楽しむことができる。なお、型番からわかるとおり、au製の端末のみに対応している点に注意が必要だ。

またMRモードでは、スマートフォンをコントローラ代わりに使用し、端末を傾けたりタップしたりして操作できる。ミラーリングモードではモノラル映像だが、MRモードではステレオ3Dで映像が表示されるため、より自然なゲーム体験が可能だ。VRと異なり周囲の状況が常に可視化されており、スタンドアロンデバイスと同じく自由に動き回ることもできる(屋外での使用は推奨されていない)。

すでにダンスミュージカルアクション『Space Channel 5 DEMO for NrealLight』(以下、『スペースチャンネル5 AR』体験版)などの専用ゲームがGoogle Playで配信されており、今後も増加していく見込みだ。

●『スペースチャンネル5』とは?

あらかた20年前にドリームキャスト用ゲームソフトとして発売された、音楽とダンスをテーマとした伝説の音楽ゲームで、当時より国内外で数多くのファンを持つ。 未来の宇宙テレビ局「スペースチャンネル5」を舞台に、リポーターである主人公"うらら"が謎の宇宙人"モロ星人"とダンスと歌で戦い、モロ星人にヘンテコに踊らされてしまった人々を救出し、宇宙を救う。2019年12月に20周年を迎え、2020年には最新作となるVR用ゲーム『スペースチャンネル5 VR あらかた★ダンシングショー』(以下、スペースチャンネル5 VR)が発売され、話題となった。

●関連記事
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▲『Space Channel 5 DEMO for NrealLight』

NrealLightのもう1つの特徴が、開発者向けのエコシステムが整備されていることだ。公式サイトを通じて、Unity向けのSDK「NRSDK」 が無償で入手でき、公式エミュレータも存在するので、Unityエディタ上でMRモード向けのアプリ開発が可能だ。有償の開発機材(※1)も存在するが、NrealLightと対応スマートフォンを用意すれば、Androidむけアプリを開発するのと変わらない感覚で、専用アプリを開発できる。完成したアプリはGooglePlayで自由に公開することも可能だ。 技術サポート用に公式のSlackチャンネル(英語)も用意されている。

※1:DevKit、もしくはNrealLightと対応スマートフォン。いずれも有償

Nreal開発者向けサイト

このように、これまでにないオープンなプラットフォームとして起ち上がったNreal(※2)。5G普及という追い風も受けて、大きな可能性を感じさせる製品になっている。ARはVR以上にコンテンツの文法が固まっておらず、文字通り未知の領域であることもクリエイターの興味をかき立てる要因の1つだろう。どのような意図で市場に投入されたのか、KDDIの担当者に話を聞いた。

※2:NrealLightはデバイス名で、Nrealはプラットフォーム全体を意味する

▲2020年11月26日(木)には、au SHIBUYA MODIにて『スペースチャンネル5 AR』体験版のメディア向け体験会が開催され、多くの報道陣が詰めかけた



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3Gはガラケー、4Gはスマホ、5Gはスマートグラス

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3Gはガラケー、4Gはスマホ、5Gはスマートグラス

今回話を聞いたのは、KDDI サービス統括本部で5G・XRサービスの企画開発を進める上月勝博氏と王 健氏だ。上月氏は新卒でKDDIに入社後、一貫してモバイル分野のプロダクト、サービス企画開発の業務に従事。これまでモバイル向け動画・音楽サービス(着うた、LISMO)、電子書籍サービスの企画開発などを行なってきた。現在は5G・XR、eSports、「NrealLight」などのXRデバイスを含む新規技術関連サービス・商品の企画開発を担当している。

これに対して王氏はソニーでエンジニアとして、PCやデジカメの企画開発を経験。事業企画としてヘルスケアをはじめとした新規事業の起ち上げに参加した後、2014年にKDDIに移籍したエンジニアだ。VR技術を用いた概念実証を重ねて、法人向けのVRサービスを創出。2018年からスマートグラスに注目し、新規プロジェクトを起ち上げリサーチを行なってきた。現在は上月氏と共に、NrealLightの商用展開を推進している。

  • 上月 勝博/Katsuhiro Kouzuki
    KDDI
    サービス統括本部 5G・xRサービス企画開発 部長

  • 王 健/Jian Wang
    KDDI
    サービス統括本部 5G・XRサービス企画開発部 サービス・プロダクト企画G マネージャー

前述したように、NrealLightは北京に本社を構えるスタートアップ企業であるNreal Ltd.とKDDIの共同プロジェクトとしてスタートした。2020年8月に韓国で販売が始まり11月に日本がそれに続き、2021年には欧州で発売が予定されている。キャリアはそれぞれ、LG Uplus 、KDDI、Vodafoneとなる。

上月氏が米国クアルコムでXR分野に携わる知人から、Nreal Ltd.の紹介を受けたのが協業のきっかけだった。他にも多くのスマートグラスを視察したが、プロトタイプを見た瞬間に惹かれたという。スマートフォンに接続する形式でKDDIのビジネスと親和性が高いことや、他社製品と比べて画質が鮮明であること、Unity上でアプリを開発できる環境が用意されている点などがその理由だった。

「ポスト・スマートフォン時代を見据えて、弊社としても空間コンピューティング(Spatial Computing)分野に進出していきたいという思いがあり、リサーチを続けていました。プロトタイプの段階では完成度は決して高くありませんでしたが、ちゃんとブラッシュアップすればいける、という感覚がありました。早く日本市場でも扱えるようなクオリティに仕上げて発売したいと考えました」(上月氏)。

上月氏によると、「プロトタイプを見てから発売まで、2年弱の時間がかかった」という。後述するが、スマートグラスは5G時代のキラーデバイスとして各社が注目する商品群だ。日本で大手キャリアから本格的に発売される初めてのスマートグラスとして、社内でそれなりの議論があったことは容易に想像できる。もっとも上月氏は、「これまで部署として新しいものに積極的に取り組んできた経緯もあり、わりと理解されやすかった」と語った。

ここで、改めてNrealLightのスペックを解説しよう。重量は約106g(ケーブル含まず)。画面サイズは両眼で3,840✕1080ピクセルで、対応視野角は52度。文字通り「目の前に220インチ規模のスクリーンが広がる」感覚だ。搭載カメラは3基で、中央にRGBカメラ、左右に深度カメラ(赤外線距離測定)が設置されている。スマートフォンとはUSB Type-C規格で有線接続され、スマートフォンをコントローラに見立てて、傾ける・タップするなどして入力が可能だ。

他に多くのVR HMDと同じく6軸での空間認識(6DoF)に対応し(※3)、平面検出機能、画像認識、マルチプレイヤーモードを備えている。オーディオは眼鏡のつるの部分に左右に搭載されている。他に、周囲光センサ、加速度センサ、重力センサを搭載。NRSDKと専用アプリNebulaのアップデートに伴い、ハンドトラッキング機能も実装される予定だ。

※3:スマートフォンの検知は3軸のみ

▲画像認識とマルチプレイヤーモードをサポートするNrealLight専用ゲームとして、『NrealTower』がリリースされている

●NrealLight製品仕様

  • サイズ
  • 175mm×146mm×44mm(使用時)
    156mm×52mm×44mm(収納時)
  • 重量
  • 106g
  • ディスプレイ
  • 解像度:単眼1,920✕1080、60Hz
  • 光学
  • 複合ライトガイド、視野角(FoV): 52°、瞳孔間距離(IPD): 53.5-73.5 mm
  • 環境認識
  • 6DoFスペーストラッキング、平面検査、画像検出
  • オーディオ
  • デュアルスピーカー、デュアルマイク
  • センサ
  • デュアル空間コンピューティングカメラ
    写真/ビデオRGBカメラ
    IMU(加速度センサ/重力センサ)
    照度センサ
    距離センサ
  • 接続
  • USB-Type C
  • ボタン
  • 輝度 :ディスプレイの明るさを調整
  • アクセサリー
  • 磁気近視レンズ用磁気フレーム
    鼻パッド(4種類)
  • 価格
  • 69,799円(税込)

※公式サイト、開発者向けサイト、およびNreal Japanへの問い合わせを基に作成

続いて、NrealLightの2つのモードについて、より深掘りして紹介しよう。前述したように、ミラーリングモードはスマートフォンの画面がそのままミラーリングされるものだ。BluetoothコントローラやBluetoothイヤフォンなどと併用できるため、自分だけのゲーム空間やシアタールームが堪能できる。より鮮明にスクリーンを表示させたいユーザーのために、レンズ部に装着するVRカバーも付属している。

これに対して、MRモードでは2つの体験が得られる。1つ目は、専用アプリのNebulaを用いて既存のAndroidアプリを3つまで同時に起動し、マルチウィンドウで使用できる。YouTubeを再生しながらブラウザでニュースを読み、Twitterでツイートするといった具合だ。2つ目は『スペースチャンネル5 AR』体験版のような、専用アプリによるまったく新しいXR体験となる。

NrealLightの本体価格が約7万円。これに加えて対応スマートフォンが10万~15万円。一般ユーザーがゼロからNrealLightのXR体験を楽しむには、18万円前後の出費が必要となる。これを高いと見るか安いと見るかは人それぞれだが、売れ行きは好調で市場では品薄状態が続いている。筆者も本記事を執筆するにあたり自費で購入したが、大半の店舗で品切れ状態となっていた。

「一般消費者や個人開発者と、B2BやB2B2C需要でだいたい半々という状況です」と上月氏は述べている。その理由の1つに、個人でアプリをつくってすぐにストアに公開できる点が挙げられるだろう。「私たちもアプリケーションのエコシステムが非常に大事だと思っていたので、UnityでAndroidアプリを開発するのと同じ感覚で開発できる点を重視しました。これが独自OSだったり特定のアプリ開発の環境をつくらなければいけないとなると、敷居が高くなってしまいます」(上月氏)。

一方でB2B分野での採用事例も拡大中だ。大日本住友製薬はその1つで、コロナ禍で対面による情報提供活動が困難な中、医薬情報担当者と医療関係者のコミュニケーションの円滑化が課題となった。これを解決するために、医薬品情報の3D映像コンテンツなどの制作やバーチャルコミュニケーションスペースの構築をKDDIとの協業で進めている。NrealLightもそのためのデバイスとして活用中だ。

他に、渋谷PARCOの常設型ショールームストア「BOOSTER STUDIO by CAMPFIRE」で2019年11月、VRコンテンツアワード「NEWVIEW AWARDS 2019」のファイナリストの作品をNrealLightで体験する施策を実施。2020年2月に豊田スタジアムで開催されたJ1リーグホーム開幕戦では、試合中のシュート数やパス数といった情報をAR空間に表示する催しも計画されていた(コロナ禍の影響で実施延期)。

2020年8月には東京国立博物館で国宝「聖徳太子絵伝」の複製画とアニメーションが視聴できる催しを開催。2020年9月には、「バンクシー展 天才か反逆者か」の横浜展で、作品を鑑賞しながらARで解説が聞ける「NrealLightガイド付きチケット」の発売が行われるなど様々な実証実験が進められている。

STYLY for Nreal

他に王氏はB2B2C案件のユニークな事例として、VR/AR/MRクリエイティブプラットフォーム「STYLY」 を展開するPsychic VR Lab を挙げた。同社ではブラウザだけでXRコンテンツを制作できUnityとも連携する「STYLY Studio」を展開中で、ここに新たに「STYLY for Nreal」が加わった。NrealLightを使用して、STYLYに公開されているVR/ARのシーンやSTYLY Studioで制作したオリジナルのシーンをNrealLightで体験できる。

「これまで国内のスタートアップ企業の方々と協業して、様々な実証実験を行なってきました。最初は技術的な質問が来るだろうと思っていましたが、思ったより少なかったですね。様々な情報を収集しながら自由につくっていただいたようです。皆さん、優秀だなあと思いました」(王氏)。

これまで見てきたように、VRのコンテンツ体験が没入感をベースとしているのに対して、ARは現実世界との関係性をベースとしている。『Pokémon GO』のような「位置ゲー」を第1世代とした上で、まったく新しい第2世代の展開が始まりつつあるのだ。今後、様々なデバイスが各社から発売され、新しいコンテンツやサービスが展開されていくだろう。どのような可能性が考えられるだろうか。NrealLightにこだわらず、自由に語ってもらった。

▲「5Gで文化財 国宝 聖徳太子絵伝 ARでたどる聖徳太子の生涯」公式サイトより

「個人的にやりたいのはライブ配信ですね。コロナ禍で多くのアーティストがライブを開催できずに困っているので、それを補完するようなことができればと。2Dのストリーミングによるライブ配信はすでに行われていますが、これが3Dになって目の前にアーティストが飛び出してくるような体験になれば良いですね。背景から人物を切り出す技術などもAIで進化していますので、リアルタイムで人が転送されてくるような、テレポーテーションに近い体験ができるかもしれません。まさにPCでもスマートフォンでもできない、ARならではの体験に繋がると思います」(上月氏)。

「まず、NrealLightで楽しみたいのはゲームです。目の前に広がる仮想スクリーン上で、スマートフォンでもコンソールに近いゲーム体験ができます。その上で『Pokémon GO』のようなゲームが、もう少し直感的に遊べるようになると良いですね。もう少し先の話で言うと、地図アプリと組み合わせてARナビなどができればと思います。目の前に矢印が表示されて、行き先を案内してくれるイメージです。スマートフォンと同じように、日常的に使われるようなものにしていきたいです」(王氏)。

3Gはガラケー、4Gはスマートフォン、5Gではスマートグラスの世界になる......。そのように意気込む両氏。日本初の「GPSケータイ」となった「C3003P」(2002)、上月氏が企画に関わったという、携帯電話とPCを繋いで音楽が楽しめる「LISMO(au LISTEN MOBILE SERVICE)」、「auスマートパス」(2012~)など、同社ではハードとソフトが一体となった数々の施策を展開してきた。NrealLightがその後に続けるか、注目していきたい。



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VR版のビジュアル素材が直接活きたAR版の開発

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VR版のビジュアル素材が直接活きたAR版の開発

このように5G時代における戦略商品の1つとして、KDDIが力を入れるNrealLight。本プロジェクトにソフトウェアやサービス開発の側面で協業するのが、ジャムズワークスMawari Inc. だ。

ジャムズワークスは、元マリーガル・マネジメント(リクルートと任天堂による合弁会社/現在は存在しない)の安藤 摂氏らが設立したスタジオで、他社やクリエイターと協業しながら、ゲームや最新デジタル技術を活用したコンテンツ・サービスなどの企画プロデュースや、開発マネジメントなどを行なってきた。2020年2月に発売された『スペースチャンネル5 VR あらかた☆ダンシングショー』でも、メインで開発を担当したグランディングと共に共同プロデュースしたほか、開発にも一部携わっている。こうした縁もあり、『スペースチャンネル5 AR』体験版では企画プロデュースを担当したという。

Mawari Inc.はメキシコ出身のルイス・オスカー・ラミレス・ソロルサノ氏が立ち上げた、XRコンテンツの普及と技術開発を進める企業だ。これまでアドバタイズメント・ブランディング・デジタルの3分野で横断的に活躍し、DJの経験もあるルイス氏。IoTセンサ/XR系スタートアップ参画などを経て、2017年にMawari Inc.を起ち上げた。本社機能は東京に構えるが、主要な開発部門はロシアにあり、ビデオ会議などを活用しながら開発を進めている。

2018年に同社のCTOとしてジョインしたアレクサンダー・ボリソフ氏もロシア在住だ。同社が研究開発を進める次世代XR配信プラットフォーム「Mawari XR Streaming SDK」のキーマンであり、『スペースチャンネル5 AR』体験版でもテクニカルディレクターとしてUnityの開発チームを指揮。本取材にもZoom経由でジョインした。コロナ禍でテレワークが浸透する中、それを先取りするような国際的な開発スタイルで業務に取り組んできたのだ。

もともと異なるルートでKDDIと協業していた両社は、奇妙な縁で繋がった。ジャムズワークスとKDDIの縁は、『スペースチャンネル5 VR ウキウキビューイングショー』(2016)のデモ版開発から始まる。グランディングと協業し、東京ゲームショウ2016のHTC Viveブースでauのコンテンツとして試遊展示した。このときのKDDI側の担当者が上月氏だったのだ。これを契機に、「5Gで文化財 国宝 聖徳太子絵伝 ARでたどる聖徳太子の生涯」など、同社の5GおよびXRに関する実証実験や、プロジェクトに参加。『スペースチャンネル5 AR』体験版の開発へと繋がったという。

一方でMawari Inc.は、「Mawari XR Streaming SDK」の研究開発を通してKDDIと縁ができた。「Mawari XR Streaming SDK」はクラウドゲームと同様に、ストリーミングを通してXRデバイスにコンテンツを配信するための技術で、5G世代のキラーテクノロジーになることを目指している。本技術および5Gに関する実証実験を進める過程でジャムズワークスと接点ができ、本作の開発にも参加することになった。

そして最後のキーマンがエイトビットモンキースタジオの湯田高志氏だ。セガ出身でオリジナル版『スペースチャンネル5』(1999)のディレクターを務めた、いわば『スペチャン』の生みの親ともいえる人物だ。『スペチャン』の世界観を誰よりも理解していて、NrealLightという新しいデバイスでARゲームという新しい体験を短期間(開発期間は約3ヶ月だった)でつくり出せる人物として、白羽の矢が立った。

  • 安藤 摂/Osamu Ando
    ジャムズワークス
    取締役・プロジェクトマネージャー

  • ルイス・オスカー・ラミレス・ソロルサノ/Luis Oscar Ramirez Solorzano
    Mawari Inc.
    チーフエグゼクティブオフィサー・ファウンダー

  • アレクサンダー・ボリソフ/Aleksandr Borisov
    Mawari Inc.
    チーフテクノロジーオフィサー

  • 湯田高志/Takashi Yuda
    エイトビットモンキースタジオ

前述のようにNrealLightではUnity向けのSDK「NRSDK」が無償配布されており、Unity上で動作する公式エミュレータと2種類のサンプルが用意されている。開発機材「DevKit」をPCにUSBで接続する、もしくはNrealLightと対応スマートフォンを用意すれば、すぐにUnity上でコンテンツを開発し、ビルドして試せる環境が整っているのだ。演算ユニットとなる「XPERIA 5Ⅱ SOG02」、「Galaxy Note 20 Ultra 5G SCG06」のスペックも優秀で、VR版のビジュアル素材がそのまま流用されているほどだ。

もっとも、プロトタイプを開発することとそれを製品クオリティに引き上げることでは、大きなちがいがある。以下、KDDI側から行われたオリエンテーションの内容から、企画内容の変遷、そしてARゲーム開発ならではの注意点について、4名のインタビューを基に整理してみよう。

▲NRSDKに付属の「TrackableImageEmulator」(上)と「TrackablePlaneEmulator」(下)

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NrealLight向けアプリ開発の3つの課題

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NrealLight向けアプリ開発の3つの課題

VRと同じく、体験してみなければ得られないARの魅力。そこでKDDIではNrealLightの販売にあたり、5分程度で試せる店頭用のデモアプリや、誰でも気軽に遊べるNrealLight向けのゲームコンテンツを求めていた。そこで安藤氏から上月氏に『スペースチャンネル5』を用いた提案があり、IPを管理するセガの承認と監修のもとで開発がスタートした。

当初はVR版のゲームシステムをそのまま活用するアイデアもあったが、ARゲームということで新規にゲームデザインを行うことに。一方で背景素材などを削除し、『スペースチャンネル5 VR』を開発したグランディングの協力のもと、うららやモロ星人のCGモデルをUnityエディタ上に配置したところ、特に問題なく実機上で動作したためそのまま流用されることになった。

むしろ問題はそれ以外の点にあった。第1に、まずはデモ用として店頭でプレイさせること。第2に視野角をはじめとしたNrealLight側の技術的制約。そして第3にゲームの調整だ。

もともと「ダンスミュージカルアクション」と銘打たれているように、本作では音楽とダンスの一体感が強調されるようなゲームデザインが持ち味だ。中でも専用コントローラを両手に持ち、身体を動かしながら遊ぶVR版では、そのコンセプトが強調されていた。そのため本作でも、当初はスマートフォンを片手にその場で簡単なダンスをするといった内容が考えられたという。

しかし、「店頭デモ用として活用できる」という条件からこのアイデアは早々に見送られた。周囲の人にぶつかると危険だからだ。それでも、本作がもつ体感リズムゲーム的なエッセンスを盛り込むべく、スマートフォンをコントローラとして使用し、目の前に表示されるモロ星人を順番に指し示していく内容になった。

「もともと本シリーズはゲームコントローラで遊ぶゲームでした。つまり、空間を直接操作するのではなく、ゲームコントローラを介して間接的に操作して遊ぶものだったのです。これに対して本作では、スマートフォンを持って直接空間にアプローチするような内容を目指しました。本当は体を動かしたかったのですが、他のお客様に当たってしまうといけないので、空間を指し示すようなものにしました」(湯田氏)。

「まだ、このタイミングで正式発表できるわけではありませんが、ゆくゆくは『本編』をつくりたい......そうした思いを込めて『体験版』と名付けました。その際は当然、自宅で遊んでいただくことになると思います。そのため、家で遊ぶものという視点からアイデア出しを初めて、KDDI側とのやりとりを経て、最終的に店頭でも遊べる内容に仕様を固めていきました」(安藤氏)。

▲『スペースチャンネル5 AR』体験版のUnityエディタ上の画面

▲『スペースチャンネル5 AR』体験版を屋外でプレイした例

続いてNrealLight側の制約についてだ。VRゲームとはちがいARゲームでは目の前の空間にキャラクターが表示されるのみで、首を振ってもゲーム世界の全体像が見わたせるわけではない。本作でいえば、首の動きに合わせてうららやモロ星人が目の前に表示され続けるというしくみだ。そのため、ゲーム内容に即してうららを画面に配置すると、太ももから下が見切れてしまうことになった。通常のゲーム画面では問題ないが、現状では視野角が限られているため、ARゲームだと違和感があった。

そこで考えられたのが視線誘導を生かした演出だ。ゲームを起動すると、目の前にスペースチャンネル5のロゴマークが表示される。その後、ロゴマークがゆっくりと床面に移動し、そこからうららがホログラム的な演出で飛び出してくる。そしてゲームが始まる、といったシークエンスが加えられたのだ。これによって、プレイヤーは一度うららの全身像を把握してから、自然にゲームを遊ぶことができるようになる。うららの下半身が見切れていても、気になりにくい工夫がされているのだ。

「まず何かに注目させた上で、それをゆっくり動かしたら誰でも目を動かすだろうと。そうすることで、注目してもらいたい部分の視野角を確保するというフローにしました」(湯田氏)。

最後にゲームの調整だ。本作に限らず、ゲームエンジン上のエディタ画面と実機とでは、必ずと言って良いほど差異が生じる。これがVRそしてARデバイスとなるとなおさらだ。前述の通り、本作ではディレクションが日本、実装がロシアで行われた。ゲーム内容をビデオキャプチャしたり、スクリーンショットを撮って指示をするのでは齟齬が生じやすい。短期間で開発する上で、イテレーションの効率を高めるしくみが必要だった。

そこで開発されたのが、ディレクターが開発機上で試遊しながら細かい調整を行えるしくみだ。いわゆるデバッグモードに類する機能を盛り込み、実機側で手軽に調整できるようにしたのだ。調整項目はうららとモロ星人の大きさや、画面上の位置から細かいゲーム内容にいたるまで、多岐にわたる。ルイス氏も「今回のプロジェクトで最も大変だったのが、この実機上で調整できる環境を短期間でつくり上げることでした」とふり返った。

多くのゲームと同じく最適化も課題となった。これにはスマートフォンと接続して使用する、NrealLightならではの問題があった。

本作のようにNrealLightのMRモードでは、ステレオ3Dで画面が描写されるため、通常のアプリと比べてレンダリングコストが2倍になる。また、スマートフォン側からNrealLight側に信号が送られるだけでなく、NrealLight側からも本体の空間位置をはじめ様々な情報が転送される。ゲームをプレイする間、スマートフォンのSoC(System on a Chip)は常時フル回転している状態だが、VR HMDのように冷却ファンを搭載するわけにはいかない。スマートフォン本体の発熱やバッテリー容量の問題を回避するために、よりきめ細かい最適化への配慮が必要になった。

もっとも、こうした問題はガラケー時代のソーシャルゲーム開発やスマートフォンでの3Dゲーム開発でも見受けられた。モバイル端末のスペックをギリギリまで使うようなアプリを開発すると必ず直面する課題だ。その一方で、端末のスペックは毎年上がっていく。もちろん、その頃にはよりハイスペックなスマートグラスが発売され......といったイタチごっこも想定されるが、後述するようにクラウドARの技術開発も進められている。少なくともNrealLightにおいては過渡期の問題なのかもしれない。

こうした問題を除けば、開発自体は非常にやりやすかったとアレクサンダー氏は語る。「NRSDKが優秀ですぐに開発が進められました。スマートフォンのキャリブレーションも問題ないレベルでした。ただ、NrealLightとちがって3軸しか取れないので、空間上で位置がズレやすい問題があります。そのため、ゲーム開始時にスマートフォンの画面をタッチさせて、自動的にキャリブレーションするようにしました」(アレクサンダー氏)。

※『スペースチャンネル5 AR』体験版は、auショップKDDI直営全国23店舗の店頭体験できるほか、Google Playでもダウンロードして体験できる。



5Gとクラウド技術がもたらす新たな可能性

これまで見てきたように、ARゲームの文法はいまだ発展途上だ。スマートフォンの進化がカメラのスペック競争という様相を呈する中、スマートグラスは次世代のテクノロジードライバーとして高い注目を集めている。現実と空間が融合した、新たなユーザー体験を提供する「Spatial Computing」は、次世代のエンターテインメント制作においても、キーワードの1つになるだろう。

もっともNrealLightではスマートフォンの空間認識が現時点では3軸に留まり、赤外線による距離測定は可能なものの、LiDAR(Light Detection and Ranging)のような機能までは非搭載と、過渡的なスペックに留まっている部分もある。しかし、誰もが自由にアプリを開発して販売できるメリットは大きい。個人ゲーム開発者やインディゲーム開発者、XR分野で新しい表現をしてみたいアーティストにとって、注目すべきデバイスだといえるだろう。

また、本分野のようなまったく新しい分野では、実際に手を動かして何かをつくってみることではじめて得られる知見が少なくない。技術的制約の下でのアイデアの工夫もさることながら、技術の制約が外れたときに何ができるか。より具体的なイメージが描けるようになるからだ。それでは、『スペースチャンネル5 AR』体験版の開発を通して、それぞれが体感したARの未来像とはどのようなものだろうか。

「今後オクルージョンがきちんと取れるようになって、現実空間における物体の認識精度が上がれば、部屋のソファや椅子などで隠れている空間や、壁にかけられた絵が歪んでそこからモロ星人が飛び出してくるような演出も可能になります。そんなふうに現実空間とバーチャル(仮想)空間をどのようにつなげて新しい遊びや体験に変えていくかが求められてくるでしょう。テレビやスマートフォンの四角い画面から解放されたとき、どういう情報空間を演出するかが問われるようになります。そこをしっかり考えないと、スマートフォン上でのAR体験で十分という話になりかねません。現在、いろいろなプロジェクトで実証実験を重ねている最中です。インターフェイス1つとっても工夫のしがいがありますね」(安藤氏)。

「ARはVRと同じだ、ともすればVRの一歩手前の表現だと思われている人もいるのではないでしょうか。実際はまったくちがいます。VRではHMDを被ることで視界が遮断され、そこに新しい世界が生まれます。それは我々がこれまでテレビの画面で遊べるものを、360度に拡張したことに特徴があります。これは誤解を恐れずに言うと、これまでの映像表現の延長線上にあるものです。これに対してARでは体験者を取り巻く空間とコンテンツが、どれだけマッチングしているかが重要です。スマホをひっくり返すと画面から扉が開いて、キャラクターが出てくるなどのアイデアもあるでしょう。現実空間と仮想空間の重ね合わせが、そのままゲームになりそうな気がしています」(湯田氏)。

「ARで大切なのは環境をマッピングする技術です。それが進むことでもっと応用が広がると思います。実際の位置情報に結びつくようなものを開発したいですね。お気に入りのカフェに行って、コーヒーを飲みながら映画やアニメのようなストーリーが楽しめる。いろいろな乗り物が登場したりクエストをこなしたり、ARを通して環境を理解することで環境自体の変化を定義していくようなゲームやコンテンツを開発してみたいです」(アレクサンダー氏)。

最後にルイス氏から興味深いビジョンを聞いた。それがMawari Inc.が研究開発を進める「Mawari XR Cloud platform」だ。ARゲーム開発に限らず一般的にリッチなコンテンツを楽しむには、高性能なデバイスやゲーム機が必要になる。しかし、これを過去のものにする技術が存在する。それがクラウドゲームだ。サーバ側でレンダリングされたゲーム画面をフレーム単位でストリーミングする技術をベースにしており、端末側のスペックに依らずにリッチなゲームがプレイできる。国内でもPlayStation NowGeForce NOWなどのサービスが展開中だ。

これに対して「Mawari XR Streaming SDK」では画像だけではなく、3Dオブジェクトのデータを位置情報や屋内外マッピングシステムなどと組み合わせてストリーミングする点に特徴がある。これにより端末側のスペックに依らず、現実空間における特定の体験エリアや場所を限定できたうえで、リッチなXR体験が可能になる。その際、通信インフラを担うのが5Gというわけだ。前述した「5Gで文化財 国宝 聖徳太子絵伝 ARでたどる聖徳太子の生涯」展でも、NrealLightを来場者に装着してもらい、5Gで解説動画などをストリーミング配信する実証実験が行われており、Mawari Inc.の技術が活用されている。

「Mawari XR Streaming SDK」の概念図(公式サイトより)

5Gはまだまだサービスエリアが限定的でスマートグラスも商品化が始まったばかりだが、だからこそ多くの可能性を秘めている。そこにゲームデザインやエンタテインメントの技術・知見を投入することで、新たな可能性が開けていく。今回の取材ではそうした未来像が垣間見えた。「3Gはガラケー、4Gはスマートフォン、5Gはスマートグラス」の世界が実現したとき、自分たちの立ち位置はどこになるのか。クリエイターひとりひとりに提示された課題だろう。

●関連サイト
au 5G サイト
Nreal公式サイト
『スペースチャンネル5』公式ポータルサイト
『スペースチャンネル5 VR』公式サイト